こんばんは、紫栞です。
今回は、芦花公園(ろかこうえん)さんの『異端の祝祭』について少し。
あらすじ
23歳の就職浪人・島本笑美には、生きている人間とそうでないものの区別がつかない。
そのせいで昔から他者と上手くコミュニケーションがとれず、就職活動も失敗続きだった。
そんな笑美がある日、ダメ元で大手企業のモリヤ食品の面接を受けたところ、社員から「社長」と呼ばれるどう見ても十代ほどの青年・ヤンに気に入られ、内定を得る。
次の日、研修だといわれて指定された場所に行ってみると、そこはとんでもない僻地だった。妙な建物の中で意味の解らない作業をさせられ、ヤンが「兄弟たち」だという人々は奇声を発して這い回る・・・。
どう考えても正常な研修ではないが、笑美は異常な男だと分っていつつもヤンに魅せられ虜になっていく。
笑美と連絡が取れなくなり心配した兄の陽太は、心霊案件専門の相談所である「佐々木事務所」を訪れ、笑美を連れ戻してくれと依頼するが――。
カルトホラー
『異端の祝祭』は2021年5月に角川ホラー文庫から刊行された長編小説で、【佐々木事務所シリーズ】
の第一作目。
夏なので「ホラー小説が読みたい!」とネットで検索したところ、この小説が出てきまして。表紙絵と“民俗学カルトホラー”という謳い文句に惹かれて読んでみました。カルトはともかく、民俗学が絡むミステリやホラーが好きなんですよね。
作者の芦花公園さんは2020年にWeb小説サイト「カクヨム」にて発表された「ほねがらみ――某所怪談レポート」が「怖すぎる!」と、Twitterで話題になって作家デビューした方で、今作はデビュー二作目。
デビュー作は『ほねがらみ』とタイトルを改題されて書籍化されています。
読後に知ったのですが、今作の『異端の祝祭』と『ほねがらみ』とは物語の形式が異なるものの、共通したキャラクターが出てきていて繋がりがあるのだとか。
【佐々木事務所シリーズ】は現時点で三冊刊行されていまして、読もうと思ったのも三冊ならすぐにシリーズに追いつけるなというのもあったのですが、どうやらシリーズの全てを把握したいなら『ほねがらみ』も読んでおいた方が良さそうですね。読みたいと思います。
※読みました!詳しくはこちら↓
もちろん、今作単体でも十分愉しめるように描かれているので、差し支えは無いのですが。
『異端の祝祭』もTwitterで話題になったらしく、2022年6月から「Comic walker」にて五十嵐文太さん作画でコミカライズもされたのですが、2話公開された後の同年8月に五十嵐さんの体調不良により連載終了したようです。
新たに狐面イエリさん作画でコミカライズ企画が進行中のようですね。
ホラーでも、超自然的現象は皆無の設定のものも多いですが、今作は“超自然的現象・心霊現象ありき”の世界観で描かれる物語で、化け物に幽霊、異能バトルなどがバリバリ展開される。
ですが、カルトものならオキマリの洗脳・狂信の恐ろしさも描かれ、くわえてミステリ的な謎解きもありと、色々な要素が絶妙な塩梅で混ざっている“民俗学カルトホラー”となっています。
主題に取っつきにくさを感じる人もいるでしょうが、300ページほどのボリュームで展開に飽きがなく読みやすい文章なので、この分野に苦手意識がある人や、「ホラーを愉しみたいけど怖すぎるのはイヤだ」なんていうワガママさんにもオススメです。
内容から、映画の『ミッドサマー』を連想する人も多いようです。
”『ミッドサマー』的なもの”を好きな人は今作もきっと気に入ると思います。私は怖くて観ていないので分りませんが、多分。
以下、若干のネタバレ含みます~
目次の意味
物語の主な登場人物は、笑美、ヤン、笑美の兄の陽太、佐々木事務所の所長・佐々木るみ、るみの助手・青山幸喜。これらの人物の視点が代わる代わる描かれて物語が展開されていきます。
チョイ役ですが印象深く、“只者じゃない感”を放って登場するのが、霊能者の石神と、拝み屋の物部。ま、そのうち一人はなんともアレなんですけど・・・(^_^;)
最初にページをめくると当たり前に目次がある訳ですが、
第一章 べあと
第二章 ぱしよん
第三章 おらしよ
第四章 てんたさん
第五章 ばうちずも
終 章 なたる
と、全部ひらがなで意味の解らない言葉が並んでいる。ホラーらしく不気味な雰囲気を醸し出している目次ですね。
当然、作中で意味が解るようになっているのだろうと思っていたのですが、最期までこの目次の言葉の意味は明かされずじまいでした。こういったものが気になってしょうがない性分なので調べてみたのですが、どうやらいずれもキリシタン用語のようです。
この物語、序盤はカルト教団が教えの元にしているのは諏訪信仰だろうという推測で進んでいくのですが、中盤で諏訪信仰ではなくキリスト教が元にされたものだと判明する。
読み終わった後に目次の意味もおそらくキリスト教に関するものだろうと予想はついたのですが、如何せんキリスト教に詳しくないので分らないのですよね。キリスト教に詳しい人なら常識的に分るのだと思います。
第一章の「べやと」は「beato」。
「祝福された」という意味で、ざっくり言うと神からの惠が与えられるといった感じでしょうか。この章では笑美がヤンに気に入られて協会に入ることとなるのを表しているのかと。
第二章の「ぱしよん」は「passion」。
意味は「キリストの受難」。裁判の判決を受けて磔刑になるまでのキリストの苦しみ。2004年に公開されたメル・ギブソンの映画でこの言葉を知っているって人も多いのではないかと思います。
かなり凄惨な映画だったようで、ショック死した観客もいたと当時騒ぎに。私は拷問ものが苦手なのでとても観られないですね・・・。
この章では、佐々木事務所に依頼に来た笑美の兄・陽太が、笑美の研修先にバイトメンバーとして潜り込み、内部観察した経緯が語られる。後腐れが無さそうな人たちを集めて、何やら儀式の仕込みみたいなことをさせられると。
第三章の「おらしよ」は「oratio」。
意味は「祈り」ですが、日本ではかくれキリシタンが伝承した教義や掟の事を「オラショ」と言うのだとか。
この章では、佐々木事務所の佐々木るみとその助手・青山が調査・行動を開始しますが、その過程で諏訪信仰ではなくキリスト教を元にしているのだと二人が思い違いに気がつく。
第四章の「てんたさん」は「tentacao」。
意味は「悪魔の誘惑」。
この章では、次々と意外で恐ろしい事実が明らかになっていく。「悪」の章ですね。
第五章の「ばうちずも」は「bautismo」。
意味は「洗礼」。海外ドラマで赤ちゃんが協会で受けているアレですね。簡単に言うと信者になるときの儀式。
この章ではとうとう“異端の祝祭”の本番(?)となる。異能バトル最終決戦って感じですね。
終章の「なたる」は「natal」。
意味は「キリストの降誕祭」。つまりはクリスマス。
この章はエピローグ的なものですが、誕生を祝う祭典を意味するこのタイトルが付けられているのが、内容・ラストと合わせて考えるととても恐ろしい。
信仰と依存
異能バトルもさることながら、やっぱりこの物語で怖いのはカルト教団に誘われてしまうところでしょう。
自己肯定感が低い人物が、ダメだと思いつつも優しくて心地よい言葉と環境に“やられて”しまい、他者に思いのままに操作されることとなる。
この物語ではヤンが異能を持っていたためかなり簡潔に、極端なことになっていましたが、異能などなくってもこういったマインドコントロールや洗脳は横行していて、異常な犯罪が日々起こっているのですよね。
ですが、笑美は洗脳されてはいませんでした。実際には、ただただヤンの側で、ヤンが喜ぶように振る舞っていただけ。ヤンが唱えていた教義も儀式の意味も笑美は理解していないし、関心も寄せていない。「信仰」していないのですね。
「信仰する」と「ハマる」は大きく違う。宗教にハマった人間は辛いとき、苦しいとき、あるいは良いことがあった時に神に祈るのではなく、生活の全てにおいて神に依存してしまう。
育ってきた環境のため(厳密にいうと兄の仕業で)、笑美は自分の意思が非常に希薄な人物。そんな笑美にとっては、意思を放棄し、誰かに依存するのが“楽”で甘美なことなのでしょう。
自分で切り開いていくことこそ人生だとはいいますが、“自分で決断しなくていい”というのは魅惑的な側面もある。キリスト教でいうなら七つの大罪の一つの「怠惰」。“本来の自分の姿を見失うこと”でしょうか。
こんな、笑美が信仰していないのを見抜けない時点で、ヤンはダメダメのあまちゃんなのでしょうね。まだ十九歳とのことらしいので、ま、子供なんだなと。
第四章の最初、子供三人の場面がありますが、あれはヤンの過去ではなくって、今の信者の子供なんだと思います。眼窩女を教義に取り入れたのはヤンですからね。まぎらわしいですが。
ヤンの本名、出すならもっと効果的な演出が出来たのではないかなんてお節介なこと思ってしまいますね。
個人的に、民俗学のウンチクや終盤の論破するシーンはもっとページを使ってじっくり、コテンパンにやって欲しかったなぁと。儀式内容ももっと詳細さが欲しい。物足りなさがありましたね。
しかし、これは私が京極夏彦ファンだから麻痺しているだけで、普通はこれくらいの描写が適度で、バランスが良いのかも。1000ページ越えのものと比べちゃいかんですよね(^_^;)。
登場人物は一筋縄ではいかない人たちばかりで大いに興味をそそられました。シリーズを読み進めていくのが楽しみです。
※読みました!詳しくはこちら↓
私と同じように、検索して気になった方は是非。
ではではまた~