こんばんは、紫栞です。
あらすじ
昭和十三年(1938年)一月、日中戦争の勝利に沸く日本占領下の上海。財閥総師の三田村要造の娘・麗奈と結婚し、異例の出世をした關東軍将校の間久部緑郎は、伝説の不老不死の生物「火の鳥」の調査隊長に任命される。
中国大陸のシルクロードにあるタクラマカン砂漠の中にある“さまよえる湖”と呼ばれるロプノール湖。この湖の周辺の動植物には、長寿と極めて強い活力が認められるのだが、これは火の鳥の“未知のホルモン”によるものではないかという可能性が猿田博士の研究で浮上したのだという。
「火の鳥」の力を皇軍の士気高揚に有効利用することを目論見とする「ファイヤー・バード計画」。スポンサーは義父である三田村要造であり、成功した暁には二階級特進を約束された緑郎は、必ずや任務を成功させようと奮起する。
現地調査隊のメンバーは、緑郎の弟であるが密かに共産主義に共鳴する正人、その友人で実は上海マフィアと通じているルイ、清王朝の元皇女・愛新學羅顯玗こと川島芳子、通訳として同行することになった西域出身の謎の美女・マリアと、食わせ者ばかり。
途中、現地調査隊の動向が気になり追ってきた猿田博士も加わり、一行は苦労の末にロプノール湖周辺、かつて楼蘭という小国があった跡地にたどり着く。その地で、緑郎たちは火の鳥の驚愕の力を知ることとなるが――。
『小説 火の鳥 大地編』は2021年3月に刊行された長編小説。上巻下巻に分けての同時刊行で、桜庭さんの小説作品の中ではかなりのボリュームの長編となっています。
不老不死の生物・火の鳥に翻弄される人々を壮大なスケールで描いた、手塚治虫のライフワーク作品であり、学校の図書室に必ず置いてある漫画の筆頭、『火の鳥』。
表紙にドーンと“小説” “火の鳥”と書かれていてもどういうことかと困惑することと思いますが、こちらは「漫画の神様・手塚治虫の遺稿に、直木賞作家・桜庭一樹が新たな命を吹き込む!!」という、朝日新聞社創刊140周年記念で企画された作品。
『火の鳥』は複数の編から成り立っている作品で、各編のエピソードが一つの物語として完結しているので、読んでいてそれほど気に留めることもないのですが、『火の鳥』は作品全体としては未完です。生前に漫画作品として執筆されたのは「太陽編」が最後ですが、作者の手塚治虫はその後に続く複数の「〇〇編」の構想を練っていたらしく、周りに構想の一部を語ったりしていたのだとか。
「大地編」はそんな構想のみが残された幻の作品。
構想のみですが、「大地編」は日中戦争が舞台の物語と、幕末から明治維新が舞台の物語と二種類あるらしく、ストーリーを手掛けた舞台劇の原作として書こうとしていた・・・雑誌連載するにあたって雑誌社側から要望があったため変更した・・・と、そこら辺の事情はよくわからないのですが、この小説は日中戦争が舞台の物語の方の、手塚治虫による「火の鳥 大地編」構想原稿(原稿用紙2枚と5行)をもとに、桜庭一樹さんが小説として書き上げたものです。
桜庭さんは手塚作品の中で一番『火の鳥』シリーズが好きなのだそうで、そのことがきっかけで執筆依頼がきたのだそうな。
連載前から話題になっており、桜庭一樹ファンで手塚作品も好きな私は「桜庭さんが『火の鳥』を書く!?読むしかない!」と、刊行を心待ちにしておりました。
桜庭一樹さんは量産してくれる作家さんではなく、前作の短編集『じごくゆきっ』も刊行されたのは2017年で4年前。
その前も短編集や中編集が続いていたので、長編小説となるとかなり久し振りですね。個人的に色々と待ちに待っていた代物で、買うときも読むときも興奮しました。もっと小説書いて欲しいな・・・(^_^;)。
SF戦争史
手塚治虫の残した構想原稿にはどの程度の内容が書かれていたものか、読者は気になることと思います。下巻の巻末にこの構想原稿が収録されていまして、それによりますと、書かれているのは序章と第1幕。
序章で猿田博士がタクラマカン砂漠をさまよっている場面、第1幕で緑郎が火の鳥調査隊長に任命され、正人が八路軍(中国共産党の軍)のスパイとして捕らえられるも、緑郎の弟ということで放免される・・・までが手書き文章で綴られています。
構想原稿とはいっても、物語全体の組み立てが書かれている訳ではなく、序盤のストーリーが書かれているにすぎないということですね。
この構想原稿から分かる事柄は、登場人物として猿田、間久部緑郎、間久部正人、財閥総帥の三田村要造、その娘である麗奈が出てくること。
昭和十三年(1938年)が舞台で、關東軍による戦争が描かれ、タクラマカン砂漠が火の鳥がいると思しき場所として出てくるということ。
手塚治虫による構想原稿のストーリーが描かれているのは、この小説では一章「上海」の「その一 關東軍ファイヤー・バード計画」までで、およそ30ページほどですね。なので、それ以降のストーリー展開や登場人物はすべて桜庭さんのオリジナルとなります。
桜庭さんの手により、川島芳子、山本五十六、石原莞爾、東条英機など、実在の人物が登場人物として追加され、今作は日中戦争から敗戦までを描くSF戦争史ともいうべき物語になっています。
オリジナルのキャラクターは桜庭一樹作品らしく、硝子、賛美歌、雪崩・・・と、ヘンテコな名前がつけられています。桜庭節。
この目立つ単行本の装画は漫画家のつのがいさんで、登場人物紹介には手塚プロダクションによるイラストが描かれているのですが、「著者が手塚治虫のキャラクターからイメージした登場人物像を手塚プロダクションが作画。登場人物名の後に手塚作品におけるキャラクター名を付した」と、なにやら少しややこしい説明文がついているのですけども、スターシステムで手塚作品感を強めたい・・・ってことかと思う。多分。
登場人物紹介には人物の説明もされているのですが、この説明が普通にネタバレになっちゃっていて良いのかな?と、お節介なことも思う。
桜庭さんは登場人物の田辺保という天才工学博士をブラック・ジャックのイメージで描いたとインタビューで仰っていますし、イラストもついているのですが、『ブラック・ジャック』ファンの私としては田辺保がブラック・ジャックのイメージだっていうの、納得がいかない。見解の相違ですね(^_^;)。
以下ネタバレ~
タイムスリップ
今作がどういった代物の物語かというと、關東軍が火の鳥の力を使い、日本が戦争で有利になるようにタイムスリップを繰り返して歴史を変えまくっている。と、いったもの。
なんでも、火の鳥の首を使うと最大7年前までタイムスリップ出来るという「鋼鉄鳥人形」を発明したとかでそんなことになったのですけども。最初マリアが「ここは七回目の世界だ」と話す時点で回数に驚きますが、その後、三田村要造が「実は十五回目の世界だ」と言って、「じゅ、十五回!?」と、さらに驚くことに。
で、さらにその後どう物語が展開されるかというと、猿田博士が持っていた強力な自白剤によって、三田村要造がその十五回タイムスリップしまくった自身の半生を延々と語るといった流れに。
自白剤スゲぇといった具合に全部が全部話してくれる要造。十五回タイムスリップした経緯を延々追うとあって読んでいて途方に暮れる感がありますが、そこは直木賞作家の桜庭一樹さんですので、飽きさせずに読ませてくれます。と、いうか、この要造の語り部分が今作の一番の見せ場になっていると思いますね。
戦況を変えるために何度もタイムスリップを繰り返すという設定のため、国や軍があの時こうしていたらこうなっていただろうという、本来の歴史とは違う“もしもの世界”を一々描かなければいけないとあって、下巻の巻末に記されている参考文献の数が膨大。こんなに参考文献が並んでいるの、私のこれまでの読書体験でも見たことないのではないかというくらい冊数があります。100冊以上ですね。参考文献の量から、この物語を書くのは相当に大変だっただろうなということが窺えます。
タイムスリップを繰り返す時間旅行ものの戦争SFになっている今作。
面白いは面白いですが、もとの手塚治虫の『火の鳥』をふまえると「“火の鳥”である必要はあるのか」というのが正直なところ。タイムスリップの原動力で使われているというだけなので、それなら火の鳥を持ち出さなくても物語は成り立つだろうと思ってしまうのですね。
『火の鳥』は、不老不死を巡って、壮大なスケールの中で生と死、人間の愚かさと尊さが描かれる物語。
やはりこれは桜庭一樹の小説作品であって、手塚治虫ならやっぱりもっと違った『火の鳥』を漫画で描いただろうと想像します。
読んでいると川島芳子や山本五十六、石原莞爾や東条英機など、だいぶ漫画的に描かれていて、著者としては“手塚作品らしさ”を意識したのは分かるのですが、どうあっても小説は小説なのだし、もっと小説ならではの内面描写とか入れても良かったのではないかと。
登場人物全員が何かしらの間違いを犯す“人間くささ”、愚かさと尊さは多く描かれているのですが・・・“火の鳥”感が薄いような気はしてしまう。
三田村要造の語りが終わった後も現地調査隊の面々が「鋼鉄鳥人形」を使ってタイムスリップをするのですが、読者は敗戦までの本来の歴史を知っているので、どういう結末になるのか分かってしまうのも楽しむ上で少し妨げにはなっていますかね。
結局、火の鳥の首を此の世から綺麗に消し去るしかないとなる訳で。最後、意外な人物が火の鳥の首を持って原子爆弾が落ちるとわかっている広島に向かい、火の鳥を燃やすことで決着をつけるのですが
・・・こんな事言っちゃあ台無しなのかもしれないですが、普通に燃やすんじゃダメなのか?
と、思ってしまう(^_^;)。
ま、強大な力の誘惑により、猿田博士も正人もそれが出来なかったってことなのだろうとは思いますが。火の鳥の首を燃やすために自分まで一緒に死ぬことはなかろうに・・・。
最後の章のタイトルが「広島」となっていることからも、このラストは予想がついてしまうので、ストーリーとして何かもう一段あって欲しかったような。驚きの展開がなくっても読ませる筆力が桜庭一樹作品の強みで魅力ですけどね。
とはいえ、俯瞰的視点で無常な残酷さを描くところなどは手塚作品と桜庭作品で共通しているところだと思うので、桜庭さんに執筆依頼がきたのはなにやら納得。
個人的に、久々に桜庭さんのこんなに長い長編を読めて嬉しかったです。“火の鳥”という天才が残した作品をふまえるからゴチャゴチャ考えてしまうのであって、普通にSF長編小説として読むなら十分に愉しめる巨編になっていますので、手塚治虫の『火の鳥』を読んだことがない人も是非。
ではではまた~