夜ふかし閑談

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『人間昆虫記』ネタバレ・解説 手塚治虫が描く悪女の生き様

こんばんは、紫栞です。

今回は手塚治虫さんの『人間昆虫記』をご紹介。

 

人間昆虫記 1

 

 

あらすじ

恒例の芥川賞の授賞式がプリンスホテルで行われた。受賞したのは十村十枝子(本名、臼場かげり)。十枝子の堂々とした美しい姿がテレビで放送されているのをみながら、彼女の本名と同名の女・臼場かげりはアパートで首を吊って死亡した。

 

十村十枝子――彼女の名が新聞や雑誌をにぎわし始めたのは七年ほど前。

最初は「劇団テアトル・クラウ」の若手ナンバーワン女優として名を馳せた。あっさりと劇団を辞めた後には突如としてデザインの分野に進出し、国際的な評価を持つニューヨーク・デザイン・アカデミー賞を受賞。そして今度は、手なぐさみに書いたという処女作「人間昆虫記」で芥川賞をも射とめてしまった。

 

二十代前半の若く美しい女にそんな違った分野の才能がいくつも――マスコミは彼女に「才女」の冠をささげ、嫉妬と憧憬を抱き、いったいどんな女なのかと関心を寄せる。

 

授賞式の後に十枝子を訪ねてきた水野遼太郎との話の内容を立ち聞きし、同名の女が自殺したことを知った雑誌記者の青草亀太郎は、十枝子が何か妙な過去を持っていると勘ぐり、授賞式後に生まれ故郷の田舎へ向かう十枝子の後をつける。

そこで青草は異様な光景を目撃。コレをネタに十枝子と二人で会う約束を取り付けるが、約束の当日、青草の前に「劇団テアトル・クラウ」の元演出家・蜂須賀兵六が現われ、「彼女に近づくな」と忠告をする。

 

青草は蜂須賀から、十枝子は模倣の天才で、他人の能力を完璧に真似し、作品を盗み全てを奪うことでのし上がってきた寄生虫のような女だと聞かされるが――。

 

 

 

 

 

 

 

 

一人の悪女の物語

『人間昆虫記』は1970年~1971年にかけて「プレイコミック」で連載された漫画作品。

十村十枝子という一人の悪女の生き様と、彼女に群がり、翻弄され奪われていく者たちをとおして、喰うか喰われるかの人間社会を昆虫世界になぞらえて風刺している物語。

手塚治虫によるピカレスクものの代表としてよく名が挙げられる、大人向け漫画をバンバンと描いていた後期の作品群の中でも比較的有名な作品だと思います。

奇子

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『MW-ムウ』

 

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と、当ブログで紹介してきたので、『人間昆虫記』もやらないと!とか思って今回初めて読んでみた次第。

 

個人的に、こちらも『奇子』などと同様に、題名は知っていたけど十代の頃は変にビビって手を出さなかった作品。前評判などでやっぱり「子どもに読ませるものじゃない」とか言われていましたし、『人間昆虫記』というタイトルがなんだか怖くって。「昆虫標本の人間版みたいなものか?」と、勝手にとんでもなくグロテスクで猟奇的な想像を当時はしていたのですよね。長じてからそんなグロいお話ではないようだと知ったのですが。

しかし、文学においては共感と嫌悪感の双方を抱かせるような人物が“グロテスク”と考えられるらしく、その意味では『人間昆虫記』の主役・十村十枝子は正に、とんでもなくグロテスクだと言える。

後で調べて思ったのですが、タイトルは1963年の映画『にっぽん昆虫記』からの連想も少なからずあったのかもしれないですね。

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連載されていた1970年代は高度経済成長期の終わりかけで、左翼やら無差別テロ、中国の文化大革命などのさまざまな暗いニュースが報道されるなか、日本が経済成長のために躍起になっているという、慌ただしく、不条理で、そしてどこか空虚な時代だったのだそうな。この作品ではそういった時代背景も色濃く反映されています。

「その陰と陽の不条理な時代に、マキャベリアンとしてたくましく生きていく一人の女をえがいてみたいと思ったのです」

と、講談社刊の手塚治虫漫画全集『人間昆虫記』に収録されているあとがきで作者は語っています。※手塚治虫文庫全集にもあとがきは収録されています。全1巻。

 

 

私は秋田文庫版で読みました。全1巻。

  

 

 

他、手塚プロダクションから出している電子書籍など。こちらは全2巻。

 

 

 

『人間昆虫記』も、お高い《雑誌オリジナル版》が刊行されています。

 

 

雑誌掲載時のカラー扉絵やコミックス未収録ページ、予告や毎回の「あらすじ」も完全収録された、マニア向けの豪華版ですね。

奇子』や『MW-ムウ』では《雑誌オリジナル版》にコミックスとは異なるエンディングが収録されていたりしますが、『人間昆虫記』は雑誌掲載時と単行本とでエンディングに差はないようです。

手塚治虫は単行本刊行時に描き直しをすることが多い漫画家なのですが、『人間昆虫記』ではしなかったようですね。それだけこの作品の纏まり方に満足していたということでしょうか。

 

 

『人間昆虫記』は2011年にWOWOWでテレビドラマ化もされています。全7話。

 

 

 

漫画の方だと、同姓同名の小説家志望だった臼場かげりと何があったのかはハッキリと書かれていなくて、「同姓同名設定にした意味とかあるのか?」と割と疑問なのですが、こちらのドラマだとそこら辺の顛末も描かれているようです。

 

 

 

 

 

模倣の天才

『人間昆虫記』は春蟬(はるぜみ)の章浮塵子(うんか)の章天牛(かみきり)の章螽蟖(きりぎりす)の章の、四つの章で構成されています。どれも虫の名前ですね。

主要登場人物の名前も昆虫の名をもじったものになっています。徹底して昆虫まみれ。作者の手塚治虫は大の虫好きだったとあって、マニアックに細部を詰めたのでしょうね。章代や登場人物名に使っている昆虫名は、内容や人柄・役割などを表すものになっているのだと思います。なので、昆虫に詳しい人はより愉しめる内容かと。

 

主人公・十村十枝子の本名である臼場かげりはウスバカゲロウという虫の名をもじったものです。ウスバカゲロウはアリジゴクの成虫の名として有名。アリジゴクは罠を仕掛け、落ちてきた獲物に毒性の高い消化液を注入して死に至らしめるという怖ろしい虫。そして、ウスバカゲロウは卵から幼虫、蛹、成虫と、完全変態をする昆虫で、外見はトンボによく似ている。        

 

才能のある者にとりつき、能力をすいとり、作品を盗むことでのし上がっていく模倣の天才・十村十枝。

彼女は一つのものに囚われず、女優として、デザイナーとして、小説家として、名誉と賞賛を得ても、それらを惜しげもなく脱ぎ捨てて新しいものに挑戦し変容し続ける。まるで羽化し続ける蝶のように。

どんなに才能のある人間でも、何か一つ褒めそやされ評価されれば、成功体験を引きずって愛着や執着が湧き、簡単には手放すことは難しい。そもそもが好きで、得意で、やり始めたことでもあるのですからね。十枝子にはソレがない。だからこそ世間は驚くのですが、それは十枝子が他人の模倣をしているだけだから。昆虫の擬態のように身を守るためだけにやっていることで、本来が自分のものではないので、何の未練もなく捨てることが出来るという訳です。

 

「あなたは自分のモノは持っていない ただ ものすごく巧妙に他人(ひと)のモノをまねして自分のモノに奪ってしまうだけなんだ!」

 

と、作中雑誌記者の青草に糾弾されますが、言われた十枝子はキョトンとしている。(※コマの中で、十枝子の表情の横に本当に「キョトン」と書いてある)

十枝子にとって、自分のモノではないこと、“ホンモノではない”ことは何ら気にすることではないのです。彼女は本来の芸術家が求める「自分の中にあるものを創作・創造して表現したい」という気概は持っていないのですからね。

 

では、手段を選ばず、他人から全てを奪って、時には殺人までやってのけるのは名誉や出世欲のためなのかというとそれもまた違う。

 

十枝子が“ソレ”をするのは、模倣の天才的能力が自分にあるから。授かった能力だから使う、それだけのこと。計算ではなく、生き物としての生存本能でやっていることなのです。

 

劇団に所属している最中、有望なデザイナーである水野遼太郎と出会い、恋をした十枝子は、水野のアシスタントになるためにあっさりと劇団を退団する。水野と一緒にいたいという想いが第一にあっての行動だったのでしょうが、十枝子は結局水野のデザインを盗用して出し抜き、国際的な賞を受賞して水野に怒鳴られ、追い出されることに。

本当に愛している水野に対してまで、模倣して出し抜かずにはいられない。出来るからやった、当然のことだと悪びれもしない。

自然界の昆虫のように、本能で生きている女なのですね。不条理な文明社会に存在してしまったがために、十枝子はなんとも厄介な悪女として生きることになった。

 

創作・創造は、今日では全て先人の模倣から始まるものです。こんなに文明が進んでいる世界で、完全なオリジナルなど有り得ない。作者である手塚治虫だって、先人たちの様々な創作物から着想を得て漫画作品に昇華しているのですからね。十枝子の模倣能力はそれをおもいっきり誇張したものだともいえる。

 

 

 

 

 

 

 

以下ネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水野・しじみ

水野に酷い仕打ちをしておきながら、その後も諦めきれずに想いをよせて口説き続けていた十枝子ですが、水野は商事会社社長の金文に紹介された「しじみ」という元芸者で十枝子と瓜二つの女と結婚する。

自分のことを振り続けていた男が、よりにもよって自分と同じ顔の女と結婚したとあって、十枝子はかなりのショックを受けます。十枝子は十枝子で、大企業の重役である釜石桐郎とゲームじみた契約結婚をしていたのですけどね。

 

最初は十枝子と同じ顔に惹かれてしじみと付き合いだした水野でしたが、次第に心底しじみを愛するようになります。しじみもまた、水野が自分に十枝子の亡霊をみているのだと気付きながらも水野を慕う。想い合う二人でしたが、しじみは実は幽門癌で余命幾ばくもない身体でした。

水野は知らされていませんでしたが、しじみは元々金文の愛人で、四回の堕胎で身体をボロボロにさせられ、お座敷に出れなくなり請け出された後は、昼間は金文の会社で働かされ、夜には娼婦として客をとらされるという、酷い扱いを受けてきた女性でした。親切ぶって水野としじみを引き合わせた金文でしたが、その実はいよいよ使い物にならなくなったしじみの厄介払いが目的だったのです。

 

しじみが死んでしまい、この話を知って憎しみを募らせた水野は金文を殺害。逮捕されて、そのままお話からフェードアウトしてしまいます。

 

しじみは因業な男に搾取され、オモチャにされるといった、この時代の社会に振り回される辛い女性像を表すような人物。この時代の女が社会に弄ばれずに生きていくには、マキャベリアンじみた、度を超えている程のたくましさがなければ無理だったのかもしれません。

 

「女ひとりでせいいっぱい生きていくってこんなにむなしいもんかしら」

 

群がるものに喰われて散々な人生を送ったものの、最後は水野に想われて満たされて死んでいったしじみと、群がるものを喰らって、誰もがうらやむ華々しい人生を送りながらも虚しく生きていく十枝子。

同じ顔で、まるで真逆の人生を歩んでいるしじみを対比的に描くことで、十枝子という女の社会の中での在り方が浮き彫りになっている。

 

 

 

母親

世間では「才女」として通っている十枝子ですが、実際は母親を唯一の心の拠り所としている平凡な田舎娘です。

 

母親は数年前に他界しているのですが、十枝子は生前の母親そっくりの蝋人形を故郷の実家に置き、何かある度にこの蝋人形相手に本音を吐き出して甘えている。裸になって、蝋人形のお乳を吸う真似をし、玩具箱のような部屋でおしゃぶりをすって寝ている姿はどこまでも異様です。

 

釜石とギャンブルな結婚をしていた最中、十枝子は悪戯に子どもを欲しがった釜石によって妊娠させられ、なんとかして堕ろそうと必死に知略をめぐらし、自分と瓜二つのしじみに協力させて堕胎します。とにかく、十枝子にとって自分が子どもを産むことなど以ての外なのです。

嫌なのは、子どもを産むことではなく「母親」になること。まだまだ母親にどっぷりと甘えていたい幼児だから、「母親」になって大人になり、自分以外の者のために生きるだなんて、十枝子にとっては考えることも出来ないことなのですね。

 

模倣するだけでなく、あらゆる策を練って世渡りをしている十枝子ですが、中身は子どもそのもの。完璧な悪女のように見えますが、やっていることは実は行き当たりばったりで、盗めると思えば盗むし、邪魔だと思えば殺すし、自分と競争しようとする者が現われれば勝って打ち負かそうとする。本能のままに生きているのも、子どもだから。

 

子どもである十枝子にとって、絶対的に信用出来るのは母親のみでした。十枝子が目的のためには殺人までいとわなくなったのは小説家デビューの一件からですが、このように手段がより過激になったのは母親が死んでしまったのが原因なのかも知れません。

 

 

 

オチ

ラスト、写真家の大和に玩具箱のような部屋で寝ている姿を見られた十枝子は、こんなにまで執着していた田舎の家と母親の蝋人形をあっさりと燃やして、前々から行きたがっていたギリシアへと旅立ち、大和から脅して奪い取った写真で、今度は写真家としてギリシアで成功を収めます。

拠り所にしていたものを一切棄て、本当に一人きりになった十枝子は、ギリシアの寂れた地に佇みながら、「私・・・・・・さみしいわ・・・・・・ふきとばされそう・・・・・・」と、呟いて物語は終わる。

 

どこまでも一人で生きていくことしか出来ない、十枝子の空虚さが滲み出る感慨深い終わり方ですね。

 

全てを知ってしまった写真家の大和ですが、破滅したり、死ぬことにまでならなくって良かったね、と思いました。写真盗られて悔しがっていましたけど、もともと十枝子が被写体のヌード写真なんだし、くれちまえよ、と。十枝子のそれまでの犠牲者たちの顛末から考えれば、大和はかなり難を逃れた方だと思いますね(^_^;)。

作中で毎度、十枝子についての解説者の役割をしてくれていた蜂須賀さんは最後やっぱり殺されちゃって「あぁ・・・」となった・・・。

 

いろいろ悪どいことをしているのに、裁かれずに野放しのまま終わっているので、今作は主人公の十村十枝子に感情移入出来るかどうかで、大きく評価が分かれる作品だと思います。

しかし、一気に読まされてしまう作品であることは間違いないので、気になった方は是非。

 

 

ではではまた~

 

 

 

 

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