夜ふかし閑談

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『アドルフに告ぐ』手塚治虫の最高傑作!?ネタバレ・考察

こんばんは、紫栞です。

今回は手塚治虫さんのアドルフに告ぐをご紹介。

 

アドルフに告ぐ(オリジナル版)

 

あらすじ

これは アドルフと呼ばれた 三人の男たちの物語である

彼ら三人はそれぞれちがった人生をたどりながら 一本の運命の糸に結ばれていた

最後のアドルフがこうして死んだ今 その物語を子孫達に伝えようと思う

 

昭和11年(1936年)8月。 ベルリンオリンピックの取材でドイツを訪れていた協合通信の特派員記者・峠草平は、ベルリンに留学中の弟・勲から「重大な話がある。あるものを渡したいので、下宿に来てくれ」という内容の電話を受ける。

「時間には絶対に遅れないでくれ」と電話口で勲に強く言われていたものの取材が長引き、草平は約束の時間を過ぎてしまう。下宿に駆けつけてみると、部屋はもぬけの殻で室内は酷く荒らされており、勲は刃物でめった突きにされた惨たらしい死体となって下宿前の並木に引っ掛かっていた。

その後、警察がやって来て勲の遺体を運んでいったが、何故か勲の遺体はそのまま行方不明に。それどころか、勲が住んでいたはずの部屋には別の住人が五年前から住んでいたことになっており、アパート周辺の人々も誰も勲のことを知らないという。

勲の遺体も、住んでいた形跡も持ち物も存在も消され、事件は丸ごと“なかったこと”にされた。

草平は一人、勲の死の真相を躍起になって探るが、そのうちに物騒な連中に付け狙われるようになる。彼らの目的はどうやら、勲が草平に渡そうとしていた「ある文書」の行方らしいのだが――。

 

一方その頃、日本の兵庫県神戸市にある神戸キリスト学校に通い、山本通りの屋敷に住むドイツ人外交官でナチス党員である父ヴォルフガングと、日本人の由季江母を持つ日独混血の少年アドルフ・カウフマンは、ハーフであることを理由にいじめられていたところを、ドイツから神戸に亡命し元町でパン屋を営むユダヤ人夫婦の一人息子アドルフ・カミルに助けられたことがきっかけで友達となり、境遇が違いながらも親交を深めていく。

カミルと親友になったことから、カウフマンはナチスによるユダヤ人迫害に強い反発心を抱くようになる。しかし、ナチス党員である父親は来年、カウフマンをヒットラー・ユーゲントの幹部養成学校に入学させようとしていた。

 

ある日、カミルは父親がユダヤ人仲間としていた秘密会議の内容を偶然耳にしてしまう。その内容とは、ナチス総統であるヒットラーユダヤ人であることを示す証拠文書がベルリンから日本の誰かに宛てて送られたらしいという信じがたいものだった。

 

そして、カウフマンの父ヴォルフガングも本国からの命を受けてその文書の行方を追っていて――。

 

アドルフ・カウフマンとアドルフ・カミル、そしてアドルフ・ヒットラー。秘密文書を巡り、三人のアドルフは運命を翻弄されていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

傑作

アドルフに告ぐ』は1983年~1985年にかけて「週刊文春」で連載された漫画作品で、第10回講談社漫画賞一般部門受賞作

アドルフ・ヒットラー(ヒトラー)といえば、第二次世界大戦を引き起こし、人種主義を振り翳して組織的にユダヤ人を大虐殺したことで知られる20世紀最悪の独裁者として誰もが知るところである人物ですが、今作はヒットラーユダヤ人の血が流れていることを証明する機密文書」がもし存在したら?という設定のもと、ナチスの台頭から終焉までが虚実織り交ぜられて展開する大河ドラマとなっています。

舞台は主に日本の神戸とドイツで、峠草平を狂言廻しとして「アドルフ」という同じ名を持つ三人の男達が、この機密文書を巡って運命を翻弄される様が描かれる。 

日本の場面では、作者である手塚治虫が青春時代を過した戦前~戦中の関西地方の当時の風景や空気感がリアルに描かれているのも注目ポイントです。

 

 

漫画雑誌ではなく総合週刊誌の「週刊文春」での連載ということで、バリバリ大人向けに書かれた今作。なんでも、編集長からの要望が「シリアスな大河もの」だったとのことで、かなりハードで社会派な作品となっています。

序盤でのミステリアスな展開で一気に引き込み、軍やスパイや特高警察が入り乱れてのハラハラするサスペンス仕立てで終始飽きさせないストーリー構成と、重厚な人間ドラマは圧巻。私は読み始めたら止まらなくって一気読みしてしまい、読後の余韻も凄まじくってなかなか寝付けず、結局徹夜する事態となってしまいました(^_^;)。

 

手塚治虫が死去したのは1989年ですので、『アドルフに告ぐ』はかなり晩年の方の作品となる訳ですが、数ある手塚作品の中でも最高傑作との呼び声高く、高い評価を受けています。ブラックジャックなどもそうですが、最晩年の作品が今ではもっとも人気があったり評価が高いというのは、活動初期からヒット作を飛ばしつづけていることをふまえて改めて考えると凄いことですよね。最後まで作家として進化し続けていたということでしょうか。

 

私は全作品を読んでいる訳ではないので「最高傑作」かどうかは判断しようがないのですが、「傑作」であることは間違いない作品です。

 

 

今手に入れやすいのは

 

文春文庫

 

 

文春文庫版は元々全5巻でしたが、今は新装版が出ていて、そちらですと全4巻。

 

 

 

手塚治虫漫画全集手塚治虫漫画文庫全集。全3巻。

 

 

文春版も全集版もそれぞれ電子書籍が出ています。手塚プロダクションから出している電子書籍版は全5巻ですね。

 

 

 

 

私は旧版の文春文庫版で読んだのですが、全集版だと著者である手塚治虫のあとがきが収録されていますし、全3巻なので良いのかなと思いますね。

 

私が学生時代の時には学校にも図書館にもハードカバー版が置かれていたので、今見るとノスタルジック。

 

 

 

毎度お馴染みの超豪華なオリジナル版も刊行されています。

 

 

非常にインパクトのある表紙デザインのこちら、雑誌掲載時の扉絵や単行本化の際に改変された台詞が復元されており、本編が三冊とオマケで(?)著者の回想やインタビュー、色々な方々のこの作品に関しての解説などが収録された別冊がついているようです。

アドルフに告ぐ』は最晩年の長編。この頃すでに手塚治虫は体調を崩して途中休載したりしていたので、単行本化の際に色々と書き足したようです。書き足される前のものが読めるのは今やこの本だけですので、読んでみたいなぁとは思うのですが、いかんせん、お値段が・・・(^_^;)。やはり相当なマニア向けの愛蔵版ですね。

 

どのバージョンでも3~5冊なのですが、『アドルフに告ぐ』は体感的には20冊か30冊は読んだかのような濃密な読後感。いまだにドラマ化もアニメ化も映画化もされていないのですが(やはりナチス関連はアンタッチャブルな部分があるというか、海外の反応とか諸々あるから難しいんですかねぇ・・・)実写化するならそれこそNHK大河ドラマぐらいの話数はいるだろうって思うのに、この冊数とはこれいかに。作者の物語構成能力の凄まじさを思い知らされますね。

 

ラジオドラマと舞台化はされています。舞台は無理ですが、ラジオドラマの方はCDが出てる。

 

 

 

 

史実と虚構

上記した通り、「ヒットラーユダヤ人の血が流れていることを証明する機密文書」の存在がこの物語の核になっているのですが、この“ヒットラーユダヤ人の血が流れている”というのは昔実際にあった説で、私も幼少期に少~し聞きかじったことがある気がする・・・(いま思うと、この漫画の話がそのまま広がっていただけなんじゃないかって気もしますが)ユダヤ人をこの世から一掃しようとした人物が実はユダヤ人でした~なんて、皮肉が効きすぎというか、本当だったら“出来すぎ”な話なのですが、専門家の調査の結果、現在ではこの説は成り立たないものとして否定されています。

 

この連載が始まる前、手塚治虫は日本国内でソ連のスパイ組織が諜報活動を行なっていた事件ゾルゲ事件に高い関心を持っていたようで、この事件の中心人物であるスパイのリヒャルト・ゾルゲを主役に書きたかったらしいのですが、専門家に話しを聞いたところ、ゾルゲ事件に関してはまだ不明点多く、本質的なものが解明されるのはまだ先になるだろうってことで、ゾルゲを主役にするのは諦めたようです。その名残なのか、今作ではゾルゲ事件も少し物語に絡んできます。でもゾルゲの登場は本当に少しですね。

 

ヒットラーゾルゲの他にも、ナチスや日本の著名な軍人など、史実の人物が多数登場してきます。個人的に気になったのが、作中で演奏を続けたためにナチに射殺されるユダヤ人ヴァイオリニストのユーリ・ノルシュタイン。まさか実在の人なのかな?と、思って調べてみたのですが、東欧系ユダヤ人のアニメーション映画作家であるユーリ・ボリソヴィチ・ノルシュタインさんの名前を借用しているのだそうです。アニメーターの世界ではかなり有名な方のようなので、知らないのは失礼なのかもしれない。ご本人は2021年現在もご健在で80歳です。

 

ヒットラーの出生の仮説だけでなく、日系ハーフであるカウフマンがSD(ナチス・ドイツの親衛隊内部におかれていた情報部)に入隊出来たのはおかしいとか、十代なのにいくらなんでも隊での出世が早すぎるとか、史実との相違点は多々ありますが「事実と違うじゃないか」と指摘するのは野暮だというくらいに『アドルフに告ぐ』は面白いです。

そもそもノンフィクションではなくエンターテインメントとしての創作物ですので、ヒットラーユダヤ人説も漫画の題材として面白いから採用しているだけだということで。違いに文句をつけるのではなく、虚実が織り交ぜられた作品として愉しんで欲しいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

以下ネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カウフマン

「アドルフと呼ばれた三人の男たちの物語」と、物語の初っ端で狂言廻しの峠草平はいっていますが、“アドルフ・ヒットラーユダヤ人の血が流れていることを証明する機密文書”を巡っての物語であるものの、実際はヒットラー自身の出番は非常に少なめで、ヒットラーによる視点もなく、常に第三者から見た印象と描写にとどまる。主軸はカウフマンとカミル、二人の少年の友情が戦争に振り回される顛末と、狂言廻しである峠草平の物語となっています。

カウフマン、カミル、峠草平の三人がそれぞれに様々な歴史的事件に関わることとなる様が描かれている訳ですが、この物語での見所はやはりアドルフ・カウフマンの変節していく様ですね。

 

ナチス党員の息子でありながらユダヤ人のカミルと親友となり、ユダヤ人を殺してもいいと教えるヒットラー・ユーゲントには入りたくない」「あの子とは一生友達でいたい」と言って強制的にドイツのAHS(アドルフ・ヒットラー学校)に入学させられるまで子供ながら必死に抵抗し続けたカウフマンですが、やはりドイツでの教育と環境によってすっかりとナチスの考えに染まり、ナチスの中で順調に出世しながら躊躇いもなくバカバカとユダヤ人を殺すようになっていく。

 

しかし、ただただ洗脳されて悪人になっていく訳ではなく、ガチガチの人差別意識と殺戮を繰り返すなかでカウフマンはずっと矛盾した想いや行動を取り続けています。

アーリア人こそが最高の人種であるという考えを信じ、人種を淘汰することこそが正義だとナチス将校として心血を注ぎつつも、日系ハーフである自分は絶対に純粋なアーリア人にはなれないのだという現実が強いコンプレックスとなっていたカウフマンは、ヒットラーユダヤ人の血が流れていると知りながらも総統に忠誠を誓う。アーリア人だけが選ばれし人種だと言いながら。

ユダヤ人は下等で、日本人は創造力が欠けた二流民族なんだという教えを信じながら、でも親友のカミルは別、ママは別だと言い、ユダヤ人の女の子に恋をしてその子だけ助けようとしたり・・・強い人種差別意識を持っているくせに、「自分にとって特別な人だけは別」という、まったく筋の通らない考えをする。

ドイツでナチス将校としてユダヤ人を迫害し、カミルの父親も自らの手で殺害しておきながら、日本に来てカミルの母親の店に懐かしいと顔を出し、カミルとの久し振りの再会に涙を流して心から喜ぶのです。

 

あまりにもチグハグで身勝手。「どういうつもりだコイツ」って感じなんですが、しかし、ここら辺の周りとの感覚のズレの描写が、カウフマンが“人“の部分を残しつつも“人”として徹底的に壊れてしまっている表れのようで、読んでいると憤りつつも哀しくなってくる。

 

もっとも哀しいのが、カウフマンの植え付けられた差別意識がどんなことがあっても結局最後まで抜けず、殺戮の人生から脱却出来ないところです。 

 

権力を与えられて特殊な状況下に置かれると、残虐な行為も疑問も持たずに正当化してしまうものなのか、カウフマンは戦況の悪化によりヒットラーにはもはや正常な判断能力がなくなっていると気づき、党の遣り方や判断に反発しつつもユダヤ人弾圧と殺戮は何の疑問も持たずに、当たり前だという顔をして続けるのです。

日本に来てもナチス将校として振る舞うことを辞めなかったことで母と親友と好きな女性から見限られ、機密文書を見つけだすという国からの命令を成し遂げた途端にドイツは敗戦。

やっと自分はとんだ道化だったと自覚するも、今度はナチスの残党狩りから逃れてきた中東でパレスチナ解放戦線の組織にはいり、現地の女性と結婚して子をもうけながらも殺戮の日々、イスラエル軍入隊し中尉になっていたカミルに女房子供を殺されたことで激怒(怒れるような立場じゃないだろって感じですが・・・)。止める味方を殺し、「アドルフに告ぐ!」というチラシでカミルを呼び出して決闘の末、カウフマンはカミルの手で撃たれて死ぬ。最後まで「ユダヤ人め・・・」と呟きながら。

 

差別意識からも人殺しからも逃れられない無間地獄からのあまりにも悲惨で憐れな最後。

 

カウフマンの母親であり、峠草平と再婚して子供を身籠もっていた由季江が、終戦間近で重傷を負って死んでしまう場面は、この辛いことだらけの漫画の中でも一番といっていいほどの辛いシーンですが(個人的には仁川刑事が死んじゃうのがショックすぎましたが・・・)、勘当された状態のまま母親が逝ってしまうことでカウフマンにダメ押しの絶望を与えるためなのかな?と思います。許しを請うことも、与えてもらうこともない。“カウフマンには徹底的に惨めで救われない末路を”という作者の容赦なさを感じる。

 

 

 

 

 

正義

日本の神戸という場違いな場所でドイツにいる時同様に高慢に振る舞い、皆に批難され、大好きな母親にユダヤ人や日本人を見下すことをやめないなら、もうおまえを息子とは思わない」と絶縁宣言されてもカウフマンが態度を改めなかったのは、自分が正しいと思っていたから。それが正義だと教え込まれていたからです。

しかし、ヒットラーが死に、ドイツが敗戦してカウフマンにとって“正義だったもの”は突如としてなくなった。ナチスの残党狩りから逃れて成り行きでアラブ側の組織に入りますが、この時のカウフマンにとってはユダヤもアラブもどうでもよく、もはや大義も志もなく人を殺し続ける毎日。罪を忘れさせてくれていた「正義」をなくしてみれば、直視させられるのは自分が「くだらん殺し屋」だという事実です。

 

「おれの人生はいったいなんだったんだろう あちこちの国で正義というやつにつきあって そしてなにもかも失った・・・肉親も・・・友情も・・・おれ自身まで・・・おれはおろかな人間なんだ だが おろかな人間がゴマンといるから 国は正義をふりかざせるんだろうな」

 

 

戦争は国益のため、思想を押し通すためにされるものであるのは誰の目にも明白なはず。戦争に正義があるのだと本当に信じているのだとしたら、そいつは愚か者でしょう。だけども、オエライさんが「正義」という耳触りのいい言葉を使って煽り立てるので、多くの人々は愚かにも信じてしまう訳です。そんな得体の知れない「正義」をそれぞれにふりかざして戦争は起き、殺人は正当化される。

 

「子どもに殺しを教えるのだけはごめんだ 世界中の子どもが正義だといって殺しを教えられたらいつか世界中の人間は全滅するだろうな」

 

 

青春時代に戦争体験をした作者の手塚治虫にとっては、「正義」という言葉は空虚で何処までも胡散臭いものに感じられたのでしょう。ブラック・ジャックにも「正義か そんなもんはこの世にありはしない」と作中で言わせていますしね。

 

 

 

 

告ぐ

報復の連鎖により、争いはいつまでも終わらない。あんなにも善良であったカミルも、終盤のパレスチナ解放戦線では民間人の虐殺を指揮する非道な軍人となっています。空襲で母親を亡くしたことがきっかけになっているのだろうとは思いますが、いきなり十年後ってなってのこの変化ですので、唐突感が否めない。「いや、お前、どうしちゃったんだよ」ってなる。

本来はカウフマンとカミルが最終対決にいたるまでの必然性を描く予定だったのでしょうが、作者の体調とコミックスのページ制限で第二次世界大戦後のストーリーを大幅カットしたためにこのようなことになっているのでしょうね。他、大戦終了後にランプや米山刑事についてのドラマも予定されていたようですが、こちらもなしに。いやぁ、書かれなかったのが悔やまれますね。本来予定していた後半部分も非常に読んでみたかった。米山刑事とか確かに序盤で思わせぶりに登場させていたから、終盤繋げるつもりだったんだろうな~と。

カットしたにしてもこの漫画の伏線回収は充分にお見事ですけどね。行方知れずになっていた仁川刑事の娘である三重子がお桂さんの店で働いていたとか「お~」となった。もっとも感服したのは「アドルフに告ぐ」のタイトル回収ですけど。

 

 

「この物語を世界中の何百万といるアドルフ名の人間に読んでもらいます 題も『アドルフに告ぐ』とするつもりです その何百万人ものアドルフが息子達に読ませる・・・そして その息子が孫のアドルフに・・・やがて世界中の何千万の人間が・・・正義ってものの正体をすこしばかり考えてくれりゃいいと思いましてね・・・つまんない望みですが」

 

と、晩年の峠草平が言い、カミルの墓参りをしている峠草平の姿と、「これはアドルフと呼ばれた三人の男たちの物語である」という物語の書き出し部分で終わるという円環構造にこの物語はなっています。

 

ナチスを扱うとなるとホロコーストが主体になりがちで、ナチスは加害者、ユダヤは被害者といったふうにハッキリと別れているものがほとんどですが、この作品はどの民族も人種も持ち上げておらず、民族や人種とは関係なしにすべての人が愚かで間違いを犯します。

どうせカットするなら第二次世界大戦までで物語を終わらせた方が良かったのではないかという意見も読者の間ではあったりしますが、報復の連鎖により争いがこりもせずに続くことを示すためにも中東編はこの物語に必須。戦争の本質を描くためには大戦終了で切ってはだめなんですね。

 

今でもこの物語が読む人々の胸に実感を伴って響いてくるのは、今でも世界各地で戦争が起き、同じような悲劇がうまれているから。これは作者の望みには反する未来です。

何十年何百年経とうと人間はたいして変わらないのかもしれない。それでも諦めずに警告し続けること、語り継ぐことはやめてはならない。

 

 

人間の愚かさがこれでもかと描かれていますが、それだけではなく、「戦争で大事なものを失った・・・・・・――それでもなにかを期待してせい一杯生きている人間てのはすばらしい」と、尊さも存分に描かれています。峠草平はもちろんですが、チョイ役かと思っていた小城先生の逞しさとか恐れ入る(^_^;)。草平がモテすぎというか、登場人物がそろいもそろって異性を見たらすぐに惚れちゃうの何なんだとかちょっと思いますが・・・それもまた逞しさだということにしておきましょう。うん。ま、そんなところもまた丸飲みにして面白い作品なのです。

人間の愚かさと尊さを描くという手塚治虫の真骨頂が発揮されている作品で、とにかく傑作ですのでまだ読まれていない方は是非。

 

 

 

ではではまた~

 

 

 

 

 

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