こんばんは、紫栞です。
演劇を下敷きにしたドロボーエンタメ
『七色いんこ』は1981年3月~1982年5月まで「週刊少年チャンピオン」で連載されていた漫画作品。
内容はともかく、タイトルはそこそこ知られている作品だと私は思っていたのですが、今回調べてみたらどうも知名度が低い部類とも認識されているような、いないような。
アニメ化などされていないからですかね?
手塚治虫作品の中では割と長期間連載だし、別作家のスピンオフやトリビュートで登場することも多く、舞台化も2回しているのですが。
一回目は2000年に稲垣吾郎さん主演、二回目は2018年に伊藤純奈さん主演での舞台化ですね。2018年版だといんこ役を女性が演じているというのが興味深い。
代役専門の天才役者で泥棒の「七色いんこ」が、代役仕事を通して様々な出来事に遭遇していくというストーリーで、全47話の一話完結形式もの。
各エピソード、有名演劇を題材にしているのが特徴で、数話例外はありますが、サブタイトルはどれも実在する演劇からとられています。
「代役を引き受けている公演中、劇場で何が起こってもいっさい目をつぶる」のが、七色いんこが代役を引き受ける条件。つまり、公演中に金持ちの観客から金品を盗むといった方法で泥棒をしている訳です。
そして、いんこは優れた役者でありながら変装の名人でもあり、メーキャップでどの様な人物にも化けることが出来る。
モロに江戸川乱歩の怪人二十面相な設定ですが、コレに演劇要素・題材が加わって他にはない独自の活劇ものとなっています。
主要人物は本当に少なくって、いんこの他は千里万里子(せんりまりこ)という、いんこ事件担当の女刑事ぐらい。
この千里刑事、スポーツ万能で射撃の名人「女性版ジェームズ・ボンド」とも言われるパワフル娘であり、鳥を見るとアレルギーで身体が子供のように縮んでしまう、メルモちゃんも驚きの特異体質持ち。
物語序盤でいんこに恋してしまい、恋心を胸に秘めつつ刑事としていんこを逮捕しようと追いかけ回すという、いかにも活劇的でありながら珍妙なラブコメ要素も絡んでいます。
人物ではないですが、演技上手で妙に色っぽい雄犬・玉サブローも良い味を出していますね。
エピソードごとに登場人物も場所も変わる一話完結形式。連載先も「少年チャンピオン」だし、『ブラック・ジャック』の役者版か?
と思ってしまうところでしょうが(私自身、読む前はそう思っていた)、実際読んでみると作品テイストは全然違います。
『ブラック・ジャック』は命のやり取りが描かれるだけあって全体的にシリアスですが、『七色いんこ』は軽快でコメディ色の強い作品。そしてラブ要素あり。
読んでいて楽しいのはもちろんですが、とにかく多くの演劇が作中で紹介され、下敷きにしたエピソードが展開されますので、様々な有名演目を知ることが出来るのも嬉しい作品です。
●少年チャンピオン・コミックス 全7巻
が、もちろん最初の形態。手塚治虫の強い要望により、各話冒頭にモチーフとなった演劇の解説ページが設けられています。
・・・・・・が、手塚治虫コミックスでは毎度のことながら、作者の気に入っているエピソードを優先的に選んでの収録になっているので、実質このコミックスは“抜粋版”。未収録エピソードが数話あります。
ホント、毎度毎度・・・何で全話発表順に収録してくれなかったんですかね?同時進行で多数の連載をしていると「気に入っているのだけ見せたい」とかなるのでしょうか。もし私がリアルタイムの読者だったらグチグチ言っていただろうなと思う。当時の読者から文句言われなかったのかな?
未収録があるので要注意ですが、各話に演劇の解説があるのは良いですね。私、お話の度に演目をネットで調べていたので、専門家の解説がセットになっているのはとても親切だという気がする。
も全7巻なので、おそらく少年チャンピオン・コミックスと同じ内容なのだと思います。やはり要注意。この電子版、いつでも要注意だな・・・。
文庫版の、
●秋田文庫 全5巻
●手塚治虫文庫全集 全3巻
では、全話収録されています。
やっぱり、集めやすいのは全3巻の「手塚治虫文庫全集」ですかね。『七色いんこ』について講演会で手塚先生が語られたことや、手塚プロダクション資料室長・森晴路さんの解説も収録されていますし。私も文庫全集版で読みました。
例によって例のごとく、マニア向けの豪華本《オリジナル版》復刻大全集も刊行されています。全4巻。
カラーページや予告カットなど、雑誌掲載時を完全再現。ファン的に重要なのは、番外編である「七色いんこの国際漫画祭ルポ」が収録されているところですかね。手塚治虫がフランス・アングレーム国際漫画祭を訪れた際、七色いんこが先生にくっついて会場に潜り込んだという設定で描かれた漫画レポートでして、『七色いんこ』のコミックスや文庫版には収録されていないお話。ま、レポート漫画ですから収録されないのも分るのですが。
『手塚治虫エッセイ集』でも読めるようですので、
他作品の復刻大全集よりも“うまみ”はないかも知れないですけど。
手塚治虫はコミックスに収録するにあたり大幅な修正や改変をすることが多く、「この復刻大全集じゃないとオリジナルは読めないよ!」って事態がよく発生しているのですが、『七色いんこ』ではそのようなことは特になかったらしく、お話の内容は同じ。
なので、この本は本当にマニア向けですね。
手塚治虫の描く「芝居」
作者の手塚治虫はかなりの芝居好きで映画好き。世界各地、あらゆる時代の創作物から着想を得て、自身の漫画作品に昇華させていることはどの手塚作品を読んでいても伝わってきます。
手塚治虫はストーリー漫画の先駆者といわれていますが、「ストーリー漫画」も漫画に映画的手法を取り入れてのものですからね。手塚漫画の特徴である、キャラクターを俳優のように扱う「スター・システム」も、芝居好きだからこその発想。漫画を描きながら俳優をキャスティングし、操って、監督気分を味わっていた訳です。
極端な話、手塚治虫が芝居好きじゃなかったらどの漫画も描かれることはなかったと。今日の漫画界の在り方も大きく変わっていたやも知れません。
手塚治虫は漫画家になる前、大阪の劇団に3年ほどいたことがあり、昭和22年頃はずっと舞台の上でお芝居をしていたのだとか。『ブラック・ジャック』は医学学校時代の経験・知識がいかされてのものですが、『七色いんこ』もまた作者自身の舞台経験からきているのですね。
“芝居に関するぼくのイメージとか、ぼくが芝居を好きだからこそこうした漫画を描いているんだ、ということをわかっていただくために始めたのが「七色いんこ」なのです。”
と、仰っているように、『七色いんこ』には芝居についてのアレコレがこれでもかと詰めこまれています。
哲学的なものやメッセージ性の強いものもあれば、滑稽でダジャレでオチているものもあり。リアリティを度外視した、ありえない、漫画すぎるほど漫画な表現も多いです。玉サブローとかはもうモロですね。犬だけど芝居上手で酒飲み。
メタなネタもかなりあって、「作者を探す六人の登場人物」にいたっては心身症になったいんこが作者の手塚治虫に直に抗議しています。しかも、それで心身症にするのをやめさせるのに成功してそのまま終わる。どんな漫画だよ。
手塚治虫もやりすぎたという自覚があったのか、チャンピオン・コミックスの方ではこのお話は未収録になっています。
なんでもあり。もはや無法地帯ですね。
“「七色いんこ」というのは、今までのぼくの作品系列からいうといったいどれにあたるかわからないほど変わった作品”
とも仰っているのですが、正にって感じ。
しかし、この、なんでもありでどんなことでも起こっていいというのが芝居の在り方そのものなのかも知れません。
以下、若干のネタバレ~
最終回
そんなこんなで滅茶苦茶な印象を受ける『七色いんこ』ですが、最終回の「終章」ではキッチリと見事にまとめ上げられています。
「ハムレット」から始まり、父と息子の対立とロミジュリ要素が合わさったこの「終章」。第一話の段階で多数の伏線が張られているので、この「終章」は最初から確りと予定されていたものだと知れて胸が熱くなります。
私は特にいんこと万里子のラブコメ部分が好きだったので(「じゃじゃ馬ならし」と「青い鳥」が個人的にお気に入り)、最後に明かされる真相には何やら興奮した。
ちょこちょこと登場していた財界のキングである鍬潟隆介、万里子の見合い相手として現われる黒谷マモルなどの存在もちゃんと回収されます。
トミーに関しては急に出て来た感があるので、もうちょっと事前に色々匂わせしといても良かったのではって気もしますけど。でも不思議とそこまで突飛な印象でもないので、急に出て来ても素直に受け入れられる。
手塚作品ですと打ち切りも多くて尻切れトンボのものも散見されるのですが、
『七色いんこ』は比較的作者の予定通りに書き進めることが出来た作品なのではないかと思います。
なので、途中どんなに滅茶苦茶な無法地帯が展開されていても、完成度の高い作品だと感服させられる仕上がりになっているかと。
私、何故か手塚作品はシリアスなものばかり読んでいたので、『七色いんこ』は新鮮に感じられて面白かったです。
とにかく万里子が性格と容姿諸々凄くかわいいのと(大きいのも縮んでるのもカワイイ)、いんこがかっこいいのだけれども、結構恥ずかしい失敗をしたり「ホンネ」とかいう幻覚見て洒落にならないくらいマジでヤバイことになっていたりするのがまた新鮮な主人公像でした。読んでいて、「びょ、病院入れないと・・・」ってなった(^_^;)。
最終回の「終章」はあえてぼかされた結末となっています。その後を描いた石田敦子さんによるトリビュート漫画が発売されているのですが、こちらは「手塚作品を舞台で演じる」というものなのだとか。面白い設定ですね。
別設定で中井チカさんによる漫画もあります。こちらですと七色いんこと万里子が国際犯罪組織と対峙するといった内容らしい。
謎の番外編「タマサブローの大冒険」
『七色いんこ』は、本編終了後に何故か「タマサブローの大冒険」たる番外編が描がかれてされています。
玉サブローだと思われる犬がドブ川を流れているのから始まり、スター犬に恋をして大冒険を繰り広げる内容。いんこや万里子は登場しません。
いんこと一緒にいないし、飼われる前の話とも思えないし、“玉サブロー”ではなく“タマサブロー”で表記も違うことから、本編とは違う世界線ってことなのかと思ったのですが、手塚治虫オフィシャルサイトの方ですと“七色いんこと別れ別れとなったタマサブローは”と、説明されているので↓
(そんな具体的な説明や場面は作中には一切ないのですが・・・)「終章」後にいんこと一緒にいられない事態に陥ったということでしょうか。それですと、あの舞台の時いんこは・・・・・・と、悲劇的な考えに至るのですけども。
うーん、でも、この「タマサブローの大冒険」は深刻な社会問題を盛込みつつもかなりファンタジックな仕上がりとなっているので、パラレルだと言われた方が個人的にはしっくりくるんですけどね~。色々と考察しがいのある番外編となっています。
読者にゆだねるラストの場合、私はいつも無理やり良い方に考えることにしているので、『七色いんこ』に関しても勝手にそう思っておきます。もう作者による正式な続きが描かれることもないですしね。
「タマサブローの大冒険」もふくめて、『七色いんこ』は表面上なんでもありでコミカル活劇でありながら、シビアな社会問題や人間の微妙な心理状態なども巧みに描かれています。
作中でまるで感嘆詞の代わりのように「日本の国土!」と叫ぶシーンが多数あって、今読むと意味不明なのですが、これはどうも当時北方領土問題で世間が揺れていたのをうけてのもののようです。揶揄して使っていたってことでしょうか。
後、過去話でのサンドイッチにはドン引きしました。驚くほどサラリと描かれているのがまたどす黒い。普通の漫画家だったらここの部分の演出で数ページ使うだろうに・・・。これが手塚漫画の強み。
手塚治虫が描く「お芝居漫画」、様々な要素が組み合わさった他にない漫画作品となっていますので、気になった方は是非。
ではではまた~