こんばんは、紫栞です。
今回は我孫子武丸さんの『殺戮にいたる病』をご紹介。
あらすじ
蒲生稔は、逮捕の際まったく抵抗しなかった。
樋口の通報で駆けつけた警官隊は、静かに微笑んでいる稔にひどく戸惑いを覚えた様子だった。彼の傍らに転がった無残な死体を見てさえ、稔と、これまで考えられてきた殺人鬼像を結び付けるのは、その場の誰にとっても困難なことだった。
六件の殺人と一件の未遂で逮捕され死刑判決となった連続猟奇殺人犯・蒲生稔。彼が「真実の愛」を求めたがために繰り返される、あまりに残忍で残酷な犯行と歪んだ思考の軌跡。
息子が殺人犯なのではないかと疑念を抱き、恐怖におののく蒲生雅子。
被害者と親交があったことで事件を追うこととなった老いた元刑事・樋口武雄。
三者のそれぞれの思惑と行動は、あまりにも忌まわしく絶望的なラストシーンへと向かっていく。凌辱と惨殺の果てに蒲生稔が突き止めた「真実の愛」の正体とは――?
我孫子武丸の最高傑作
『殺戮にいたる病』は1992年に刊行された我孫子武丸さんの長編小説。
作者の我孫子武丸さんは1987年に綾辻行人さんが『十角館の殺人』
でデビューして以降の推理小説界の波(?)である“新本格”の第一世代作家の一人。小説執筆の他にシナリオなども手掛けていて、あの有名なサウンドノベルゲーム『かまいたちの夜』は我孫子さんによるシナリオですので、そちらの方で知っている人も多いですかね。
ネットで名前を検索したら「がそんしたけまる」なんて出てきましたが(^_^;)、正しくは「あびこたけまる」と読みます。千葉県の我孫子市の“あびこ”ですね。確かに、我孫子市を知らないと読むのが難しいですよね。我孫子さんのデビュー作『8の殺人』のあとがきによると、このペンネームはデビューに助力した島田荘司さんが考えてくれたものらしいです。
からタイトルが採られた今作は、蒲生稔が猟奇殺人犯として逮捕されたことが明記されたエピローグが最初にあり、第一章からは殺人を犯していく稔、息子の犯行を疑う雅子、事件を追う元刑事の樋口、三人のそれぞれの視点で連続殺人の物語が描かれるという、結果が示された後に、時間を遡って顛末を知っていくという構成になってします。
猟奇殺人が犯人の視点で描かれるとあって、サイコスリラー色が強い、色々な意味でホラーな小説となっています。読み終わった時の衝撃度も相当で、いまだに一部界隈では伝説的に語られる小説であり、我孫子武丸さんの最高傑作との呼び声高い代表的作品ですね。
以下、ガッツリとネタバレしていますので注意!!
叙述トリックものの名作
グロさが際立っている内容なので、読み進めている時はスリラーやホラー小説だという意識が強いのですが、この小説は実はミステリ小説です。何で有名って、叙述トリックもので有名な作品なんですね。
最初に犯人の名前がフルネームで明記されており、その通りの名前の人物が犯行を重ねていく様が本人の視点で克明に描かれているので、ミステリ的な仕掛けが入り込む隙はないだろうと思ってしまうところですが、これが巧妙に、実に見事に仕掛けられている。
上記したように、この物語は蒲生稔、蒲生雅子、樋口武雄、三人の視点で構成されています。
蒲生稔は大学で声をかけた女性をホテルで情交している最中に殺害したことをきっかけに、女性を殺害して“愛する”ことに執着し、女性をホテルに連れ込んでは殺害することを繰り返していく。犯行はエスカレートしてゆき、殺害するだけでは飽き足らずに遺体を損壊して持ち出し、殺害の瞬間を8ミリビデオで撮影して自宅で楽しむように。
雅子は大学生の息子の様子が最近おかしいと気になりだし、部屋から血塗れの袋を発見。報道されている犯行日に外泊していること、部屋で8ミリビデオを隠れて観ていた場面などを目撃し、連続猟奇殺人の犯人が自分の息子なのだと確信するに至る。
被害者の妹に請われて事件を追うこととなった樋口も、長年の刑事としての経験と直感から、犯人は二十代ぐらいの若い男ではないかと推測する。
このように、犯人である蒲生稔は現在大学生である雅子の息子なのだという風に書かれているのですが、これが違う。雅子の息子の名前は「信一」で、「稔」は雅子の夫の名前なのだということが最後に分るようになっています。
つまり、殺人犯「蒲生稔」は雅子の息子ではなく、夫の方なんですね。「息子」と「父親」を誤認する叙述トリックが仕掛けられている訳です。
大学に出入りしている描写があるのは大学助教授だからで、稔の視点場面で「母さん」と言っているのは雅子のことではなく、実母で一緒に住んでいる容子のこと。息子の信一が雅子に疑われるような不審な行動をとっていたのは、信一は信一で父親の稔を疑い、稔が庭に埋めたものを掘り返して調べたり、尾行したりしていたため。
雅子視点では「あの子」というばかりで息子の名前を出さないこと、一緒に住んでいるはずの義母の存在が読者に悟られないように書かれているのが巧妙です。
序盤の雅子視点描写の際、
“夫の給料は、贅沢を言わないかぎり、彼女が働きに出る必要のないほどはあったし、彼がもともと両親と住んでいた一軒家も、五年前に義父が他界してからは夫の名義となっている。”
と、ある。
「義母も他界した」とはどこにも書かれていないのだから、ちょっと想像力を働かせれば義母は今も雅子たち家族と一緒の家に住んでいるということは分るはずなのですが、「母」という単語しか出さないことで煙に巻かれるのですね。
最後、雅子が叫ぶ、
「ああ、ああ、何てことなの!あなた!お義母さまに何てことを!」
という一文の「お義母さま」の部分から、読者はこの物語の本当の構造を知ることとなるのです。
作中には、稔が十五歳の少女に「オジン」と呼ばれたり、レストランでフルコースを食べていたり、なにかと羽振りが良かったりと、大学生にしてはどうも妙だなという部分は確かにあり、読んでいて引っ掛かりはするのですが、稔の凄まじくグロテクスな犯行の軌跡をたどるのに気を取られて流してしまうのですよね。
こんなに猟奇的で生々しい殺人描写が必要なのかと読者は思うところでしょうが(本当に、気持ち悪くって吐き気がするような描写ばかりなので・・・)、最後まで“仕掛け小説”であることを悟らせないための目眩まし要素もあって、ここまで執拗なまでの描写なのかなと。
父親の不在
息子の名前が伏せられていたのと、義母の存在が悟られないように書かれていること以上に読者の目を曇らせる要素が、蒲生稔自身の内面描写。43歳で二人の子供がいる父親だとはとても思えない幼稚な精神性です。
考えているのは常に己の欲望のことばかり。一緒に住んでいる人物で「どう思われるか」などと気にするのは実母の容子にのみで、そつのない受け答えをしつつも、心中では妻や子供のことは完全に切り離している。
妻の雅子も、夫の関心のなさに愛想を尽かしてとうに見限っており、子供のことで問題が起こっても夫のことはまるでアテにしない。
稔は「父親」にならず、いつまでも「息子」のままでいる男。この家では、「父親」は常に不在の状態だったのです。
文学や映画で古くから扱われるテーマの一つに「父親殺し」というのがあります。フロイトのいう、「幼少の息子にとって、父親は母親との恋を邪魔する存在」というのもそうですが、「父親」は家庭では抑圧の象徴的存在であり、その父親を通過儀礼として乗り越えなければならぬ。と、いうテーマ。
しかし、それと対当するように、近年は「父親の不在」というテーマが多くなってきているのだとか。家父長制が薄れて母親の存在がより大きくなることにより、父親が抑圧の象徴的存在だという意識が失われ、父親が家庭内で“不在の状態”に。抑圧と同時に道標の存在であったはずの「父親」がいない状況で、どう道を切り開いてゆくのかというテーマですね。
凌辱と惨殺の果てに蒲生稔が突き止めた「真実の愛」は、“母の愛”でした。ずっと母親である容子の面影を追って女性を襲って殺戮をしていたのだと、そういった結論に至る訳です。
幼少期、稔は母親の容子に性的な愛情を抱いていたが、それを父親に打ち砕かれたことで「真実の愛」を長らく見失っていた。殺人を重ねた末にようやく気がつけたと。
今、彼はすべてを思い出し、あの頃に戻っていた。
母さん。母さん。愛してくれていたはずの母さん。どうしてあんな男のいいなりになっていたの?美しい母さんを汚し、泣かせていた男に。
でももう、何も迷うことはない。母さんはぼくのものだ。
今からいくからね。
で、物語は最高に忌まわしいラストへ――。
至極簡単に言うと、エディプス・コンプレックスでマザー・コンプレックスの男がとち狂って殺人鬼になりましたっていう、ある意味通り一遍で陳腐な真相なんですけど。
文庫版に収録されている篠井潔さんの解説にある通り、叙述トリックを用いて、ミステリで「父親の不在」というテーマに挑んでいるのが今作なのかなと。
稔はサイコ・キラーという極端な例ではありますが、自分は外で仕事をしているからと家庭のことに無関心な親は多い。殺人犯だと気がつく前、作中で雅子が語る夫の言動は“よくある夫の姿”なんですよね。
他、個人的な感想としては信一が死んでしまうのが残念だったなぁと。重傷を負ったけど一命は取り留めたとかでもいいのに・・・。長男の信一だけでなく長女の愛も良い子だし、雅子は義母との関係も良好だったみたいだし、こんなことになってホントに気の毒だなと。息子の部屋のボミ箱のティッシュを検分して“回数”を確認する雅子にはドン引きでしたけどね。
樋口サイドに関しては、途中参加の記者と三人でせっかく良い感じの結束感がうまれていたのに、最終的にかおるが樋口に「抱いてください」とか言っちゃうのが興醒めで残念すぎた(-_-)。
グロテクスな描写が多いので人を選ぶものにはなっているのですが、読めば忘れられない作品となることは間違いありませんし、叙述トリックものでは絶対に外せない作品ですので是非。
ではではまた~