夜ふかし閑談

夜更けの無駄話。おもにミステリー中心に小説、漫画、ドラマ、映画などの紹介・感想をお届けします

オペラ座館殺人事件 三部作まとめ

こんばんは、紫栞です。
金田一少年の事件簿シリーズ】の“大人版”金田一37歳の事件簿』、只今「イブニング」にて絶賛連載中であります。

私はコミックス派なのでまだ読んでいないのですが、金田一少年シリーズではお馴染みの「歌島」が『金田一37歳の事件簿』にもまた登場しているとの情報を小耳に挟んだので、コレを機会におさらいとして【金田一少年の事件簿シリーズ】のオペラ座館殺人事件三部作」についてまとめようかと思います。

金田一少年の事件簿 File(1) 金田一少年の事件簿 File (週刊少年マガジンコミックス)

 

オペラ座館殺人事件三部作」とは
金田一少年の事件簿シリーズ】内において、絶海の孤島・「歌島」に建つホテル「オペラ座館」にてガストン・ルルーの小説オペラ座の怪人のストーリーに見立てて繰り広げられる殺人劇の総称。
オペラ座館殺人事件三部作」という呼び名はコミックス『オペラ座館・第三の殺人』上巻の“著者のひとこと”でのさとうさんのコメントからきています。しかし、作画担当のさとうさんは三部作だとは「ちーっつとも知りませんでした!(笑)」とのこと。原作担当の天樹さんの頭の中では三部作の構想はいつ頃からあったのか・・・知るよしもないですね。

 

ガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』は、駆け出しの女優に恋したオペラ座の地下に隠れ住む怪人の愛と憎しみのゴシック小説。

 

オペラ座の怪人 (角川文庫)

オペラ座の怪人 (角川文庫)

 

 

ロマンス部分が主軸で、殺人の印象は薄いのですが、『オペラ座の怪人』の中では怪人が犯した三つの事件が描かれていまして、金田一少年の事件簿では主にこの三つの怪事件と同様の方法・手順で事件が起きます。


その三つの事件というのは・・・
●シャンデリアが落ちてきて下敷きになる。
●絞殺されて首を吊られる。
●引きずり込まれて溺死する。
の三つ。


絞殺や溺死は順番が変わったり方法自体が違ったりなどしますが、第一の殺人でシャンデリア(照明)が落下して下敷きになるのは三作品すべてに共通する点です。外せない要素ですね。シャンデリア、落ちる!事件、始まる!みたいな(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


では順番にご紹介。

オペラ座館殺人事件』

金田一少年の事件簿 File(1) 金田一少年の事件簿 File (週刊少年マガジンコミックス)

漫画。言わずと知れた少年マガジンにおける金田一少年の事件簿のデビュー作。
三部作ウンヌンとかの前に、シリーズ第一作目ということで金田一少年ファンには基本中の基本(?)の作品。読んどかないと駄目というか。ストーリーは「これぞ金田一少年の事件簿!」と、いったものですが、トリックは同じガストン・ルルー『黄色い部屋の謎』からの流用があります。

 

黄色い部屋の謎 (創元推理文庫)

黄色い部屋の謎 (創元推理文庫)

 

 

金田一少年の事件簿は最初の方のトリックは他作品からの流用が主でした。※詳しくはこちら↓

 

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本格ミステリファンを意識してオリジナルトリックに力を入れるようになったのは『雪夜叉伝説殺人事件』の頃からとは作者自身の談です。

オペラ座館殺人事件』はドラマ化とアニメ化がされています。ドラマは堂本剛主演の第一シリーズでの第三話目。

 

金田一少年の事件簿 VOL.2(ディレクターズカット) [DVD]

金田一少年の事件簿 VOL.2(ディレクターズカット) [DVD]

 

 

アニメは第1期の21~23話目ですね。

 

 

ドラマもアニメもシリーズの途中での登場だったので『オペラ座館殺人事件』が本編漫画のデビュー作だと認識している人は意外と少ないですね。『学園七不思議殺人事件』が最初だと思っている人が多い・・・。


金田一少年の事件簿外伝 犯人たちの事件簿1』とあわせて読むのがオススメ。

 

 

 

 


オペラ座館・新たなる殺人』

金田一少年の事件簿 小説版 オペラ座館・新たなる殺人 (講談社文庫)

マガジン・ノベルスで小説版の第一作。映画を観て原作漫画があるのだと探す人がまれにいたりしますが、漫画化はされておらず小説のみです。※小説版まとめはこちら↓

 

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続編で、『オペラ座館殺人事件』に出て来た「オペラ座館」オーナー・黒沢和馬の亡くなった娘の周辺事情がお話の中心になっています。メイントリックはなんというか、もの凄く王道(笑)良くも悪くも本格ミステリっぽい。動機も人間関係も。


劇場版アニメ第一作目として映像化されました。

 

 

金田一少年の事件簿では初のアニメーション作品。
ストーリーや人物設定など原作と一部異なります。ストーリーとして纏まりがあるのはやっぱり原作の方かと。劇場版は終盤の真相が付け足した感が強いですね(^^;)
原作では最後、黒沢オーナーは「オペラ座館」を手放し、新しい劇団を結成していますが、劇場版の方では「オペラ座館」は燃えちまってます。アニメ映画ってのはとにかく建物を破壊したいらしい(笑)シャンデリアが落ちるシーンなども凄いですが、この映画での個人的一押しシーンは血塗れのシャワーシーンです。かなりホラーですけど、恐ろしくも美しい画ですので必見。

勘違いしている人も多いですが、テレビアニメよりもこちらの劇場版が先になります。テレビアニメ版と声優が異なり、金田一一役が山口勝平さん、剣持警部役が俳優の夏八木勲さん(テレビアニメ版だと金田一一松野太紀さん、剣持警部が小杉十郎太さん。美雪役は劇場版・テレビアニメ共に中川亜紀子さんです)。個人的にはテレビアニメ版を見慣れていても声はさほど違和感はないです。それぞれあっていると思います。


テレビアニメ版の方が先だと勘違いして「劇場版だけ声優をかえて某推理アニメの探偵と同じ声にするなんて」との声があったりしますが、まぁ最初の劇場版からテレビアニメにするにあたり変更になったというだけです。声優さんがかぶっているのも、活発な少年の声は山口勝平さんの独占状態だった一時代というのがあった(と、私は勝手に感じていた)ので、別に特別な意図があってのことでもないかと。

 

 

 


オペラ座館・第三の殺人』

金田一少年の事件簿 File(28) 金田一少年の事件簿 File (週刊少年マガジンコミックス)

漫画。第Ⅰ期の週刊連載が終わり、年一の短期集中連載のシリーズでのもの(第Ⅱ期の始まり)で前作からはだいぶ期間が空いています。(いや、漫画内ではさほどな時間経ってない設定なんでしょうけど・・・)

黒沢オーナーが亡くなり(ナンダッテ-)、その死を悼み「オペラ座館」で最後のプライベート公演がおこなわれることになり、招待された金田一達は三度「歌島」を訪れる―・・・そして事件が起きる(^_^;)


黒沢さんが死んだことになっているし、「オペラ座館」の元々のルーツなどが明らかにされるし、「オペラ座館」も名実ともに全焼するしで、オペラ座完結させよう感”は強いです。
上下巻2冊を使っての事件で長く、トリックもてんこ盛りで作者の気合いを感じますが、どうもコマゴマしたトリックの寄せ集めといった印象が強く、どのトリックも頭に残らないってな気が。前二作とは違い、最初の殺人でシャンデリアを落すところ以外はガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』の見立てが行われません。見立てにこだわりのない犯人なんですね(笑)


ミステリールポライターの白神さんはまた登場するのかな?とか読んだ当初は思っていたのですが、いつきさんと役割がかぶる為かその後【金田一少年の事件簿シリーズ】での登場はありませんでした。今後『金田一37歳の事件簿』で登場してくれるだろうか。でもじゃあ、それだと白神さんも20歳年取ってるってことですよね・・・う~ん(^^;)

 

2007年にスペシャルアニメとして映像化されています。

 

 

以下ネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』は、怪人であるエリック、怪人が恋するクリスティー、クリスティーヌの恋人のラウル子爵の三人が主要人物。


オペラ座館・新たなる殺人』の劇場版アニメで美雪が


オペラ座の怪人は、愛するクリスティーヌを探し求めるラウル子爵の物語でもあるの。今度の事件も、黒沢美歌というクリスティーヌを追い求め続けたラウル子爵、能条光三郎の物語だったのね」


と言っています。


このセリフから、オペラ座館殺人』は怪人、『オペラ座館・新たなる殺人』はラウル子爵、『オペラ座館・第三の殺人』はクリスティーヌ。と、主要三人それぞれの物語が描かれているのだと考えることが出来る訳です。
そうすると三部作として綺麗に終わっていると思えるのですが・・・はたして『金田一37歳の事件簿』では「歌島」でどのような事件が起きるのか・・・。「オペラ座館」も第三の殺人で全焼してるし・・・。

 

気になる点としては黒沢オーナーの死ですね。『オペラ座館・第三の殺人』を最初に読んだときは黒沢さんがいきなり亡くなったってところからで驚いてしまったのですが、これが剣持警部からの情報によると、崖から海への転落事故で遺体は上がっていないが、時間がだいぶ経っていて生存は絶望的だろうということで事故死扱いになった。とな。・・・・・・なんというあやしさ!含みもたせまくりですね。完結といいつつ、あわよくばまた話作れるようにしておこうという匂いがプンプンします。


そしてまた『金田一37歳の事件簿』で「歌島」出すと・・・。


この黒沢オーナーの死の謎が明かされるのかどうかは定かではないですが、備えあれば憂いなしなんですかね、ミステリは(^^;)

 

なにはともあれ、ファンとしては「歌島」再々再登場と聞いてテンション上がりまくりです。楽しみ(^^)

今回まとめた三作品はすべて単体でも支障なく読めるものですが、順番に読むとより楽しめると思います。『金田一37歳の事件簿』も

※1巻出ました!詳しくはこちら↓

 

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オペラ座館殺人事件三部作」を振り返っておけば楽しさが倍増する・・・はず!ですので是非是非。

 

 

 

 

 

 

ではではまた~

ゼロの執行人 感想

こんばんは、紫栞です。
名探偵コナン ゼロの執行人』を観てきました~。

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ので、少し感想をば。

 

 

大人気
公開から三週間ほど経っているにもかかわらず、地元ではどこの映画館も一日七回上映していました。一日で七回の上映ってことは、すなわち一日中、朝から夜までずっと上映しているってことで・・・あらためてコナン映画の人気の高さを実感。
どんなメンツで観に行ったのかというと、高校生なんぞすべてガキに見えてしょうがない大人女子三人組で行ったのですけども(三人とも共通して知っている作品がコレしかなかった^^;)劇場でコナン映画を観るのが初めて・・・と、いうかアニメーション映画を劇場で観るのが10年ぶりとかなので、「学生ばっかだったらどうしよう」とか「大人三人は浮くかも」とか若干の心配をしていたのですが、まったくの杞憂でした。
観に行ったのがゴールデンウィーク中日とはいえ平日のお昼だったからか、それとも映画の内容のせいか、子供・学生がいませんでした。大人しかいない。そして女子率が高い。安室さん効果ですかね~。

 

以下若干のネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スペクタクル
コナン映画は大きな爆破があるのが毎度のお約束みたいになっていますよね。この映画もご多分に漏れず爆発していますです。
最初の方にテレビの中のアナウンサーがデカイ建造物のアレコレを説明するシーンがありまして、もうですね観ているこちらとしては「あああ~。この建物、爆破されちゃうんでしょぉ~」と、思ってしまう訳ですよ。で、思った矢先、すぐに爆破!五分後位に。危うく映画館で吹きそうになりましたね(笑)
爆破シーンもそうですが、アクションも事件も大変スケールが大きいものでした。実写の邦画でやられるとしらけるかもですが(ハリウッドならちょうど良いのかも)、アニメならこれくらいやっちゃった方がいいのかもしれないですね。
アクションシーンは色々と物理法則無視でツッコみたくなっちゃいましたけど(^^;)コナン映画、近年はアクションに力を入れている印象強いですね。映画だとホント、コナンの身体能力が超人レベルになる。映画以外ではそんなことないのに・・・。
後半は安室さんとコナンが二人で奮闘しています。アクションのヤマ場が何度もあって面白かったですよ。

 

 

監督と脚本
今作は長年コナン映画の監督をされていた静野孔文さんから、新たに立川謙さんに交代になっているのだとか。今までのコナン映画を全て観ている訳ではないので細かな違いを的確に指摘することは出来ませんが、今までのものより登場人物達の心象風景というか、感情の揺れ動きの表現が強めに、劇的になっているように感じました。アクションシーンもアドレナリンがでまくっている感じ。


脚本は櫻井武晴さんですね。櫻井さんは


『絶海の探偵』

 

 

『業火の向日葵』

 

 

純黒の悪夢

 

 

と、近年のコナン映画の脚本を何本か手掛けていますね。

櫻井さんは、かつてはテレビ朝日のドラマ『相棒』シリーズの主要脚本家の一人で(『相棒』は複数の脚本家が持ち回りで脚本を書く制作方法。ちなみに、他に『相棒』で代表的な脚本家は輿水さんと戸田山さん。櫻井さんと戸田山さんはシーズン13からは『相棒』の脚本は書かれていませんが・・・)他に、同じくテレビ朝日の『科捜研の女』など、ミステリドラマを多く手掛けている脚本家さんです。

私はミステリドラマばっかり観ている人間なので(『相棒』もずっと観てるし)、少なからず馴染みのある脚本家さんなのですが、今作『ゼロの執行人』はコナン映画では珍しく(と、いうか初?)裁判もので公安もの。って、ことで、もう櫻井節が全開でした。
警察内部のややこしい話、体制への不信感、違法捜査・・・・・・もはや『相棒』だよ(笑)


特に上戸彩が声を担当している弁護士・橘境子のセリフは全体的に櫻井さん臭かったですね。ラストの言い返すところとかも。立場的に説明セリフが多いキャラクターなんですが、映画観ながら「今、検察庁って言った?警察庁って言った?」って感じで(^^;)公安の説明が結構こんがらがります。お子様はついて行けないと思う・・・と、いうか、私も私の友達も「はぁ~ん」と流しちゃっていました。
阿笠邸で灰原がやっていることは科捜研みたいだし(阿笠邸の面々の働きは凄すぎた。「おまえらミッション:インポッシブルか」って感じだった)、全体的にテレ朝ミステリドラマ的雰囲気が漂っていましたね。


しかし、公安にたいしての描き方はもはやファンタジーですね。これでは公安は違法捜査しかしないみたいな誤解を招くというか。日本の警察ものは公安に夢見過ぎですよね。前読んだ某小説なんて公安の捜査員はみんな催眠術が使えるなんて書いてあったし(^^;)いや、ホントのところはどうか知りませんけど・・・。

 

 

 

降谷零
今作はとにかく安室さんを全面に推しているストーリー。安室さんは探偵・安室透、「黒の組織」メンバーのバーボン、公安警察の降谷零(本名)と、三つの顔を持つ人物で概要を聞くとなんとも忙しそうなキャラクターでして(でも原作だと意外と暇そう)。安室さんメインってことは「黒の組織」も関係してくるのかなぁ~とかちょっと考えたりもしたのですが、今作は「黒の組織」のバーボンはまったく関係無く、公安警察の降谷零”としての一面が描かれています。


映画見終わった後、開口一番友達が

「安室さんって赤井さんいないとちゃんと仕事するんだね」

と(笑)。

これは『純黒の悪夢』をうけての言葉だと思いますが

 

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私も

「そうだね。原作でも安室さんって赤井さんの追っかけしてる印象しかないもんね」

と返したんですが。

 

今作はまぁ追っかけもせずに(笑)公安警察として大奮闘していました。アクションシーンはかっこよかったですよ。安室さんの顔のアップのセル画にはやたら力が入っていましたしね。


実はよくよく考えると子供相手にかなりえげつない事しているんですが(コナンはもっと安室さんにガチギレしてもいいと思うんだ。あと毛利家にも謝れ)その事実を忘れさせるくらい後半のアクションと画はかっこよかったです。安室さんファンは絶対に観るべしっ!な映画。

カーアクションが多くって安室さんの愛車のRXが大活躍でした。

戦車ばりに頑丈なRX(空飛んでましたからね)、RXのスピードと平行走行できるコナンのスケボー(安室さん、乗せてやれよ)、そのスケボーのスピードに何故か身体が飛ばされないコナン(これは今更かもですが)などなど。ツッコみたい箇所がたくさんありますが、それもまた愉しいところ。映画館で観るのも迫力があって良いですが、家で友達とワチャワチャ言いながら観るのも楽しい映画だろうなと思います。事件部分のストーリーが入り組んでいるので、何度も観るのに適しているかもですね。

 

なんやかんや面白かったです。興味のある方は是非是非。

 

ではではまた~

 

名探偵コナン ゼロの執行人 (小学館ジュニア文庫)
 

 

 

 

 

零 -ZERO-

零 -ZERO-

 

 

ブラックペアン 原作 あらすじ・ネタバレ・意味 バチスタシリーズとの繋がりなど

こんばんは、紫栞です。
今回は只今放送中のTBS系日曜劇場「ブラックペアン」の原作本、海堂尊さんの『ブラックペアン 1988』の紹介と、この原作本とドラマとの違いを少しまとめようかと思います。

新装版 ブラックペアン1988 (講談社文庫)

 


あらすじ
時代はバブル景気まっただ中の1988年。東城大学医学部付属病院の研修医となった世良雅志は、腹部外科で日本を代表する国手であり、「神の手」の異名を誇る佐伯清剛教授が頂点に君臨している総合外科学教室(通称・佐伯外科)に入局する。
世良が入局してから数日後、「佐伯外科」に帝華大学から新任講師として高階権太が赴任する。高階は食道自動吻合器『スナイプAZ1988』を引っ提げ、

「スナイプを使えばすべての外科医が簡単に食道癌の手術ができるようになる」

「高い外科技術は必要なくなる」

と言い放ち、技術重視の「佐伯外科」の秩序を乱して周囲からの反感を買う。そんな中、研修医たちの受け持ち患者と指導医が決められ、世良は高階講師の指導で食道癌病例患者を受け持つことになる。
「佐伯外科」には高い技術故に“手術職人”の「オペ室の悪魔」と称され、佐伯教授と過去に“ある因縁”をもつ万年ヒラ医局員の渡海征司郎がいた。「外科医にとっては手術技術、それがすべてだ」という意見の渡海は、高階と真っ向から対立する。

渡海と高階、二人の医師と関わりながら世良は医師として成長していく。


ある日、佐伯教授が北海道で行われている国際シンポジウムに出席中、手薄になった病院では渡海と佐伯教授の過去の因縁が明らかになる事件が起きる。それは一つの“ペアン”を巡る因縁だった――。

 

 

 

 


【田口・白鳥シリーズ】(チーム・バチスタシリーズ)との繋がり
海堂尊さんといえば今や医療ミステリーの第一人者だというイメージが強いですよね。『チーム・バチスタの栄光』

 

 

から始まる【田口・白鳥シリーズ】、映画化もされていますが、特にフジテレビでのドラマシリーズ”チーム・バチスタシリーズ”で有名なシリーズですが(バチスタ手術が関係しているのは一作目だけなのに何故かこのシリーズ名)この『ブラックペアン1988』は『ブレイズメス 1990』

 

 

スリジエセンター 1991』

 

 

の三作品からなる【バブル三部作】(ブラックペアンシリーズ)の最初の一作で【田口・白鳥シリーズ】からおよそ20年前、バブル時代の1988年・昭和63年の東城大学医学部付属病院を舞台に描かれる群像劇です。
【田口・白鳥シリーズ】では、と、いうか海堂尊ファンならお馴染みの東城大学医学部付属病院の20年前が描かれると言う事で【田口・白鳥シリーズ】での登場人物達が多数登場します。【田口・白鳥シリーズ】の前段というか、序章的な意味合いがあるシリーズですね。

特に高階権太は『チーム・バチスタの栄光』での東城大学医学部付属病院の院長ですので、院長の若かりし姿が読めるのはシリーズのファンには嬉しいところだと思います。

【田口・白鳥シリーズ】の主役である田口や、『ジャネラルージュの凱旋』速水

 

 

アリアドネの弾丸島津

 

 

がベッドサイド・ラーニング(学生の現場見学)で世良の元に訪れるのはもの凄い読者サービス感が漂っています(^^)
【田口・白鳥シリーズ】は医療ミステリーですが、この『ブラックペアン』はミステリーではないです。人間ドラマ・群像劇・成長物語の側面が強いですね。

 

 

 


新装版との違い
単行本の後に文庫が新装版という形で刊行されています。

新装版の文庫は加筆修正されて上下巻に別れており、下巻の方には巻末に映画版『チーム・バチスタの栄光』で桐生恭介を演じた吉川晃司さんと著者の海堂尊さんとの対談が収録されています。

 

 

海堂さんの作品は文庫だと上下巻に分かれるものが多いので、『ブラックペアン』もそれにあわせたのだと思うんですが、そもそもページ数が300ちょっとしかないのに何故わざわざ上下巻に分けるのか疑問です。単行本は1冊なのに・・・。何か訳があるんですかね?個人的には長大な作品でもないのにうっすい文庫で分冊形態にされると腹が立ってしまうんですが・・・(-_-)
しかしまぁ、加筆修正と著者の対談が収録されているので、今から読む人は文庫版が良いと思います。ドラマも原作は“新装版”の方とされていますね。

※2012年に刊行された新装版では一冊になっています。表紙が分冊版と同じなので買うときはご注意を。

 

 

 

 

 


ドラマとの違い
原作は300ページ程のお話で2時間ドラマや映画ならともかく、連続ドラマでそのままやるにはどう考えてもボリューム不足なので、終盤以外のストーリーはほぼほぼオリジナルになるのではないかと思われます。
【バブル三部作】の他2作『ブレイズメス 1990』『スリジエセンター 1991』もドラマに盛込むのかとも思いましたが、この2作は“スリジエ・ハートセンター”を設立する為に世良と天城というお医者さんが奮闘するお話。ドラマ第一話を観ましたが、とても病院を設立しようというような流れにはなりそうもないので・・・。

ドラマと原作では違うところだらけなので一々書いているときりが無いですが、特に大きな違いは二つあります。

 

●主役が違う
ドラマの主役は渡海(二宮和也)ですが、原作の主役は世良(竹内涼真)でして。原作は終始世良視点で渡海は重要な登場人物ではありますが実は出番はそんなに多い訳でもないんですよね。主役が違うとなるとお話の雰囲気は大分変わりますし、原作ではミステリアスで人物背景がそこまで深く書かれていない渡海も、主役ということになれば原作よりも深く掘り下げられて描かれると思います。ドラマには原作には登場しない渡海の母親(倍賞美津子)が出て来るのもそういった理由かと。

 

●時代が違う
原作はバブル全盛期の1988年が舞台ですが、ドラマはちゃんとした年代は出てないですが現代が舞台のようです。医療の世界は日々進化していて変動が激しいので、ドラマと原作では医療のあり方、手術の術式などガラッと変わりますね。
原作では食道癌手術がお話の中心で、高階(小泉孝太郎)が持ち出してくる道具・スナイプも食道自動吻合器ですね。(ちなみに、小説内に出て来る「スナイプAZ1988」という道具名は造語で、実際の医療現場では普通に食道自動吻合器とよんでいるらしいです)
ドラマは心臓手術が中心に描かれるみたいです。心臓が動いている状態のままで手術する「佐伯式」という佐伯(内野聖陽)が考案した術式が出て来ていましたが、これは完全にドラマオリジナルですね。心臓を動かしたまま手術・・・説明聞いているだけで難しそうですよねぇ・・・神業。そりゃ“神の手”って言われるわって感じ(笑)高階が持ってきたスナイプも心臓手術用の道具というふうに変更されていました。

原作でベッドサイド・ラーニングに訪れる【田口・白鳥シリーズ】の田口・速水・島津の三人はこのドラマでは研修医として登場するみたいです。
キャストは
田口森田甘路(映画では竹内結子、フジドラマでは伊藤淳史)
速水山田悠介(映画では堺雅人、フジドラマでは西島秀俊)
島津岡崎紗絵(フジドラマでは安田顕)

島津が女性になっていますし、三人とも研修医としての登場ですので、原作のシリーズなどとは関係のないドラマ独自の別人設定みたいですね。(そもそも現代設定ですしね・・・)他、看護師の猫田花房も【田口・白鳥シリーズ】に登場する人物ですが、やはり別人設定かと。

主役の渡海ですが、ドラマ第一話の段階ではだいぶクールというか、怖いというか、ブラックで厳しい(?)感じでしたけど、原作ではもうちょっと陽気で砕けた物言いをする人物です。
世良は原作だと下っ端だけど物怖じせず、わりと思ったことをズバズバ言っちゃう、ある意味大物な人物設定になっています。

 

 

 

 

 


以下がっつりとネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“ブラックペアン”の意味
タイトルの“ブラックペアン”って何?と思う人も結構いるらしいですが、まぁそのまんまの意味で、黒い色をした外科手術用の止血鉗子のことです。これは作中で佐伯教授が特注している手術器具で、佐伯教授の手術のときは必ず用意されているもの。

 

佐伯がこの“ブラックペアン”を特注するようになったのは17年前のある出来事から。

 

渡海と佐伯教授の間には過去の因縁があり、渡海の父親・渡海一郎は医師でかつては佐伯と良好な関係を築いていたが、「飯沼」という患者の腹部に佐伯がペアンを置き忘れたことを知った渡海の父親が再手術を訴えたが佐伯は再手術を許さず、結果的に立場を忘れて再手術を訴え続けた渡海の父親は地方の病院にトバされてしまった。
そのことを渡海は佐伯が自分の保身の為に長年の盟友だった父親を追い落としたのだと思っており、自分が佐伯から特別待遇されているのも過去の罪滅ぼしなのだろうと決めてかかっていたんですね。


そして、今度は自分が佐伯を陥れてやろうと、佐伯が国際シンポジウムに出席するために病院を留守にしている最中に17年前の患者「飯沼」の腹部に残されたペアンを取り出す再手術をするべく画策。高階、世良とともに手術を開始する。
しかし、知らせを聞いて国際シンポジウムを投げ出して病院に駆けつけ、手術室に入ってきた佐伯の口から明かされたのは驚きの事実だった・・・・・・。

 

実は17年前、佐伯が患者の腹部にペアンを置いたまま閉腹したのは忘れたのではなく、出血が止まらなかったためのやむをえずの処置だった。当時、医療を知らない素人に必然の留意だと納得させる自信がなかった佐伯は、フォローはきちんと行うつもりで患者と家族に状況を伏せて退院させたのだが、まさか海外学会参加中に飯沼さんが腹痛で入院するとは思わず、知らされていなかった渡海の父との間で不幸な行き違いがおきてしまった。
佐伯が海外から帰ってきたときは既に渡海一郎は大病院を追われた後で、探し当てたときには渡海一郎は離島の医者になっており、佐伯が大学病院に戻ってくれと頼んでも「戻るつもりはまったくない」と断った。


何とか罪滅ぼしがしたかった佐伯の繰り返しの申し出に根負けして、渡海一郎は佐伯に自分の息子をお前の手で一人前の外科医にして欲しいとお願いしたのでした――

 

と、いうのが事の真相。


何だかもうちょっとどうにか出来たのではないかと思ってしまう行き違いですが(笑)そういうことらしいです。

佐伯がブラックペアンを特注して手術器具に必ず入れるようになったのは自分自身への戒めのため。そして、また17年前のような出来事がおきたときに使うために用意したもの。


「ブラックペアンは特注のカーボン製だ。レントゲンには写らないし、火葬されたら一緒に燃えて、後には残らない」

 

なにか完全犯罪の道具みたいですが(^^;)


渡海達の手術に乱入した佐伯は、17年前のペアンを取り出したことでおこった出血部分にブラックペアンを使用して止血。飯沼さんの腹部にブラックペアンを置いたまま手術を終え、「私は今回の事態の責任を取って、辞任する」と宣言するが、渡海は飯沼さんの手術適応の判断を間違えたのは自分だ。判断を間違えた外科医は退場すると言って『辞職願』を提出。病院を去っていくのでした・・・。

 

終盤の流れは大体こんな感じですね。

 

近年の医療物ドラマなどは人道的でない、患者の命よりもお金や自己保身、名誉を優先させる医者達が多く描かれる傾向が強いと感じます。

今回のドラマ『ブラックペアン』も第一話を観た限りではその傾向から外れるものではない世界観になっているようでした。

現代設定なのでそのようになるのかなと思いますが、原作に登場してくる佐伯、高階、渡海らと他の医師達も皆“何よりも患者の命が優先される”という理念を当たり前に持っている風に描かれています。いくらたくさんの陰謀が渦巻いても、その“外科医の矜持”だけは最後まで残っている医師達の姿が感動的で、近年の医療ドラマに毒されている人間には新鮮にうつってしまいます。これも1988年という時代だからこそなのかは定かではありませんが、この原作を現代設定にするとどのようなドラマになるのか、今後のドラマの展開に注目ですね。

 

個人的には佐伯の医者としての誇りなどは原作から大きく変えないで欲しいところですが・・・どうなるんだろう(^^;)
まぁ天下の日曜劇場ですので、ドラマはドラマで面白くしてくれるのではないかと思います。ドラマで気になった人は是非原作読んでみて下さい。

 

 

 

 

 そして、ブラックペアンを読んだ後は『ブレイズメス』『スリジエセンター』を読むべしっ!

 

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ではではまた~

奥田英朗『噂の女』あらすじ・感想 ドラマとの違いなど

こんばんは、紫栞です。
今回は奥田英朗さんの『噂の女』をご紹介。

噂の女 (新潮文庫)

BS JAPANで放送中の連続ドラマ「噂の女」の原作本ですね。

 


あらすじ
「あくまでも噂やでね」
高校までは成績も容姿も平凡、男子とはほとんど口を利かないような印象に残らない女子生徒だった糸井美幸。短大時代に人が変わったように垢抜け、色気を振りまく“男好きする女”へと変貌した彼女は、手練手管と肉体を武器に男を手玉に取ってのし上がっていく。そんな彼女の周りでは不審な男の死が後を絶たず・・・・・・。
本心がわからない謎の女と、そんな「噂の女」に翻弄される人々。小さな地方都市で彼女の黒い噂は加速していく。噂を聞きつけ、ついに警察が内偵に乗り出すが・・・。
はたして彼女の行く末は?
この街ではいつもどこかで糸井美幸の噂話に花が咲く。

 

 


短編?長編?
奥田さんは人気作家で著作もかなりの数が映像化されていますね。非常に人間くさい人物描写や、スピード感溢れるストーリー展開でとにかくグイグイ読ませてくれる作品が多いです。このブログでも前に『ナオミとカナコ』の記事を書きましたが、

 

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他に『邪魔』『最悪』などもオススメ。

 

邪魔

邪魔

 

 

 

最悪 (講談社文庫)

最悪 (講談社文庫)

 

 

人物描写がとにかく巧みなので、群像劇が凄く面白いんですね~。


さて、この『噂の女』。各目次で語り手が変わる短編集という形態を取っていますが、一話一話で作中の事態に決着やオチがつく事もなく、各語り手達の“どん詰まり感”が示されて終わる形がほとんどなので、読み始めは作者の意図がわからずに困惑します。読み進めていくと段々とつかめてきて全体像が露わに。なので、短編集や連作短編などというよりは、1冊で一つの作品の長編小説だと思った方が良いかと思います。短編集だと思って各話でのオチを求めて読むとダメかな~と(^^;)出版社や商品サイトでの紹介文も「長編小説」、「短編集」、「連作長編」とまちまちですね。

 

 

 


目次
●中古車販売店の女
●麻雀荘の女
●料理教室の女
●マンションの女
●パチンコの女
●柳ヶ瀬の女
●和服の女
●檀家の女
●内偵の女
スカイツリーの女

以上の10話構成。糸井美幸の20代前半から後半までの経過が描かれます。


各話すべて語り手は異なりますが、共通するのは糸井美幸が大なり小なり関わってくるところ。全話、“糸井美幸の噂”が主軸となっておりますが、肝心の糸井美幸自体の語りは皆無。ですので、糸井美幸がホントの処どういった女で、何を考えているのか、何をしたのかは最後まで読者にはわからずじまい。


人々の数々の“噂”によって、実態は明かされぬままに糸井美幸という女の人物像が浮かび上がっていくという作りになっております。まさにタイトル通りの「噂の女」。

私は未読ですが、こういった構成や悪女を扱っている点など、有吉佐和子さんの『悪女について』

 

悪女について (新潮文庫 (あ-5-19))

悪女について (新潮文庫 (あ-5-19))

 

 

を連想される方が多いみたいです。こちらは二十七人のインタビューからなるお話なんだとか。“悪女もの”ではかなりの有名作。
最近では2012年に沢尻エリカ主演でドラマ化もされています↓

 

悪女について

悪女について

 

 

 


ドラマとの違い
ドラマで肝心要の糸井美幸を演じるのは、ゴールデンタイムでの連続ドラマ初主演の足立梨花さん。
原作の糸井美幸は美人ではないが、唇が厚くて肉感的な体型の“妙にそそる”男好きする女。作中ではやたら胸とお尻が強調されていました。足立梨花さんはどちらかというとスレンダーなモデル体型って感じなので、そこら辺は原作と違いますね。
しかし、何となく“男ウケが良さそう”という雰囲気はあるので(個人的な見解ですが)、その面では役にあっているのかも知れません。ドラマ第一話観ましたが、お尻と足が強調されていましたね(^^;)

 

このお話は糸井美幸以外に主要人物というのがいないので、ドラマは各話ゲストが大方の割合を占めることになると思います。


それでもドラマの公式サイトには主要キャストのところに
鹿島尚之(刑事)―中村俊介
松崎健吾(市長)―石丸謙二郎
村井浩二(刑事)―田山涼成
と、ある。


鹿島と村井の二人の刑事は、原作の終盤「内偵の女」でやっと出て来る人物です。「内偵の女」は鹿島が語り手をしているお話で、村井から頼まれた事件を調べるうちに噂を聞きつけ、糸井美幸への内偵調査を始めるストーリーです。
原作では終盤のみ登場の刑事さん達を、ドラマでは糸井美幸とニアミスを繰り返しつつ、毎週登場させるみたいですね。田舎で滅多に事件が起きない署の刑事さんという事で、原作よりも大分のんびり・のほほんとした人物設定になっていました。原作ではもっとしっかり“刑事”していますよ。


市長の松崎健吾というのは原作には登場しない(と、思うのですが。名前だけどこかに出ていたらすみません^^;)のでドラマオリジナルですかね。


また、ドラマでは糸井美幸(足立梨花)が赤ん坊を抱えながら男達に追われているシーンが導入部分になっていましたが、原作にはこのようなシーンはないのでこれもオリジナルですね。原作にも赤ん坊は出て来るのですが、本の終盤で何故か(ホント何故か)存在がかき消えてしまうので、ドラマでは赤ん坊関連を掘り下げて描くのかなぁ~?
まだ第一話観ただけですが、オリジナル要素が強いドラマになりそうな予感がしますね。

 

 

 

以下ネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


田舎あるある
『噂の女』は地方都市が舞台。田舎だからこそ“噂”がすぐに蔓延する様が描かれているのですが、地方都市特有のしがらみ・決まり・面倒くささが「これでもかっ!」と書かれていて読んでいると大変嫌気がさしてくる(笑)

しかも、この「田舎の嫌なところ」、リアリティが凄くある。私自身、田舎に住んでいるので聞き覚えがあるような話が目白押しで、普段耳にしている“噂”の中身を見ているような妙な感覚に襲われました。そうです・・・田舎ってね、良いところばかりじゃないんですよ・・・(-_-)
しかし、最終話「スカイツリーの女」に出て来る〈刺身の女体盛り〉にはさすがに私もドン引きしましたが(笑)セクハラ無礼講も。今のご時世、さすがにコレは・・・。うーん。でもやっているとこはやっているのですかねぇ~・・・どうなんだろう(^_^;)

それともコレは作者のユーモアなのでしょうか?男達の過剰に下品な物言いとかも。全然笑えないけど。

 

 

 

痛快?

糸井美幸は中古車販売店の親会社社長、土建会社社長、不動産会社経営の資産家、県会議員と愛人を渡り歩き、事務員から高級クラブのママにまでのし上がっていきます。

 

「そうです。糸井って女は、これという男には色目を使って近づいて、男女の関係になって、パトロンにして、金品を引っ張り出して、用がなくなったら捨てるっていう、そういう女なんです」

 

と、まぁ、酷い女なんですけど。


田舎町の平凡な女が、いけ好かない男どもを食い物にしてのし上がってゆくというのは、女性としては痛快で爽快な思いを抱いてしまったりもします。最終話スカイツリーの女」での語り手・星野美里も、糸井美幸に尊敬の念を抱いていて愉快な気分にひたるのですが。
しかし、上記の“用がなくなったら捨てる”コレ、殺しているんですよね。保険金殺人なんですよ。

 

「田舎の普通の女がやれることで一番デカイことって保険金殺人」

 

「金持ちの愛人を殺すぐらい、女には正当防衛」

 

「世界中どの国でも、女に殺される男の数より、男に殺される女の数の方がはるかに多いやん。やったら法律もバランスを取るべきやと思う。女が男の百倍殺されとるなら、女が男を殺しても、罪の重さは百分の一やて」

 

上記はいずれも作中の言葉ですが。

 

これはまぁ極論というか暴論ですよね。善良に生きている男の人にはとんでもない意見だと思います。


しかして、女性が常に虐げられてきたというのは歴史的事実なので、この暴論にも一理あるなぁとは思っちゃいますが。

ですけど・・・やっぱり殺しちゃうのは「やりすぎ」かなぁと。男たちからお金をふんだくっていくまでは痛快に楽しめますが殺人となると・・・。痛快だとかそういう雰囲気じゃなくなっちゃいますね。個人的には「スカイツリーの女」の美里のように糸井美幸を応援しようなんて気にはなれません。


作中では、最終的に糸井美幸が同性の支持を集めるように書かれていますが、保険金殺人や愛人の斡旋などをしていたような女が同性の支持を集められるのか疑問です。そもそも“美人ではないが男ウケする女”って、女が嫌いな女の典型的要素の一つですし。実際には“ただの卑しい女”って思われて終わりなような気がする。

 

 


噂の女
この小説ですが、噂の女・糸井美幸の心中が明かされないのもそうですが、素性も最後までほとんどわからないままです。

途中でヤクザの弟が出て来ますが、これがホント出て来るだけというか、なんもない。もうちょっと素性に関しての噂話があってもいいんじゃないかなぁ~と感じますが、これくらいぼかした情報量の方が噂話としてのリアリティ(?)があって良いのかも知れませんね。

 

ドラマチックなことがまるでない人生だから、せめて他人のドラマを楽しみたい。

 

下品で不愉快な場面の連続だけれど、それでもページをめくってしまう。下世話な好奇心を刺激されたい方にオススメの小説です。是非是非。

 

噂の女 (新潮文庫)

噂の女 (新潮文庫)

 

 


ではではまた~

 

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『虚談』(きょだん) 感想 現実と虚構を揺るがすお話9編

こんばんは、紫栞です。
今回は京極夏彦さんの『虚談』をご紹介。

虚談 (怪BOOKS 幽BOOKS)

角川から比較的定期的に刊行されている【現代怪談シリーズ】の新刊。主に怪談専門誌「幽」にて掲載されたお話を集めた怪談短編集です。
今までに
『幽談』

 

幽談 (角川文庫)

幽談 (角川文庫)

 

 

『冥談』

 

冥談 (角川文庫)

冥談 (角川文庫)

 

 

『眩談』

 

眩談 (角川文庫)

眩談 (角川文庫)

 

 

『鬼談』

 

鬼談 (角川文庫)

鬼談 (角川文庫)

 

 

の4冊が刊行されています。
個人的には『幽談』『鬼談』がお気に入り。どの本も短編集で1冊300ページちょいなので、京極夏彦初心者でもとっつきやすいシリーズかと思います。ぶ厚くない京極作品(笑)各本、テーマに沿ったお話が収録されている作品集なので、順番とか気にせずにどの本から読んでもOK。

只今「三社横断 京極夏彦新刊祭」開催中。この角川の『虚談』
講談社鉄鼠の檻 愛蔵版』

 

鉄鼠の檻

鉄鼠の檻

 

 

新潮社の『ヒトごろし』

 

ヒトごろし

ヒトごろし

 

 


の、各単行本の帯についているパスワードを全て集めると2018年11月30日までの期間限定サイトで百鬼夜行シリーズ】の書き下ろし新作短編が読めます。しかもその短編作品の内容は『ヒトごろし』『虚談』の二作品ともリンクする内容なんですと。まったく、ファンの心を揺さぶるキャンペーンですよね・・・(-_-)

鉄鼠の檻』や『ヒトごろし』は1000ページ越えの大作なので、比べると『虚談』はだいぶ薄く感じますね(本の厚さが)。

 

目次
収録作品は
●レシピ
●ちくら
●ベンチ
●クラス
●キイロ
●シノビ
●ムエン
●ハウス
●リアル
の9編。全部三文字。「ちくら」だけ平仮名。

各話だいたい30ページほどですので非常に読みやすい。「怪談の短編小説読んだぐらいでビビったりしないさ」とか侮ってかかると結構怖い(笑)
今までの【現代怪談シリーズ】は怖い話以外にもノスタルジーちっくなものや不思議系話、講談的なものなどバラエティーに富んだラインナップの短編集って感じでしたが、今回の『虚談』は全編正統派(?)な“怪談”だった印象ですね。どのお話も読後がゾッとします。

 

 

 


現実と虚構
『虚談』はこれまで単体の短編が収録されていた【現代怪談シリーズ】とは違い、9編すべてに共通する点があります。お話の語り手が一貫して同じ人物なのです。短編は短編でも今回は“連作集”ですね。
さて、この語り手の「僕」ですが、これが明らかに作者の京極夏彦自身を模した人物でして。
「元デザイナーで小説家」
「将来の職業として僧侶を志望していた」
「結婚が早い」
「酒を飲まない」
等々・・・。
ファンならすぐに気が付き、引っかかる箇所がチラホラリ。「僕」の名前は最後まで明かされないままですが、作中で“ナッちゃん”と呼ばれているところもあります。

 

この本の9編すべて、作者が自身の体験談や周りから持ち掛けられた相談を語っているように書かれているのですが。まぁ“嘘”なんですよね。虚構。作り話。


・・・・・・・・と、思うんですけど。ひょっとしたら本当に体験したことが書いてあるのかも知れないし、すべてじゃなくっても9編の内の何話かとか、またはお話の一部分がとか、現実にあった事なのかも。何だか凄くリアリティのある箇所もあるし。

・・・・・・いやいや、そのリアリティもすべて含めて作者の技巧で、やっぱりこの連作集は一から十まで正真正銘作り話なのかも・・・・・・う~んう~ん。

 

と、はい。え~何が言いたいのかというと(^^;)


語り手の「僕」が作者自身だという風に書かれている、この設定自体が読者に現実と虚構の境界が曖昧になる混乱を与えているという事ですね。


『虚談』は虚構・嘘がテーマの連作集。お話の内容も9編すべて、現実と虚構の境界線が曖昧になってしまう怖さを描いています。自分の認識を疑ってしまうことへの恐怖といいますか。当たり前だと思っている価値観が揺らいでしまう不安感・恐怖ですね。


今のこの世界、自分もなにも、何から何まで嘘なのかも知れない。
そんなような浮遊感、疑問は頭を掠めはするけれども、深く考えることはせずに皆蓋をして見て見ぬ振りをしている。“現実”を信じなければまともに生活など出来ないのだから。

この『虚談』では、その皆が見て見ぬ振りをしている部分が示され、言いようのない不安・恐怖を読者に与えます。

 

夢も、現実もない。何もないんだ。
そこのところに気付いてしまったら、もう取り返しはつかないぜ。

 

通常の怪談話とはまた違った恐怖が味わえる連作集となっておりますね。怖いですよ~。

 

私は初っぱなの「レシピ」からもう怖かったです。ゾッとしましたね(侮っていたというのもありますが^^;)。全体にいえることですが、「クラス」「キイロ」など、“どんでん返し怪談”って感じで予測がつかない面白さがあります。
「ちくら」「ハウス」はドラマ化出来そうな正統派怪談。
9編の中で一番リアリティを感じるというか、実体験なのでは?と思ってしまうのは「ベンチ」ですね。幼少期の思い出として語られているお話です。「ムエン」も読んでいて「ありそ~」と感じちゃいました。
作者自身を模した語り手ということで、会話部分はコミカルで笑っちゃうというか、呆れちゃうようなところもあります。特に「シノビ」「何だ、その、ひたすらマニアックな蘊蓄は」と可笑しかったです。このお話読むと忍者に詳しくなれますぞ(笑)
最後の「リアル」で、この本は綺麗に結ばれています。京極作品らしい完成された結末ですね。

 

『虚談』以外の【現代怪談シリーズ】の短編集もバラエティーに富んでいて面白いですが、連作集は“まとまり感”があって9編すべてで一つの作品というのが良いですね。

 

是非、夜、寝る前に読んでこの本ならではの独特の恐怖を味わって下さい。

 

虚談 (怪BOOKS 幽BOOKS)

虚談 (怪BOOKS 幽BOOKS)

 

 

ではではまた~

 

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去年の冬、きみと別れ 映画 ネタバレ感想

こんばんは、紫栞です。
映画『去年の冬、きみと別れを観てきました~。

去年の冬、きみと別れ (初回仕様) [DVD]

原作本の紹介はこちらの記事で書きましたが↓

 

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今回は映画の感想や、実際に映画を観てわかった原作と映画との違いをまとめたいと思います。

 

 

映画の感想
率直な感想としましては、映画、良かったです。
“すべての人が罠にハマる。”
という触れ込みでの映画でしたが、原作を読んでいる人でも面白く観られるように上手くストーリーの作り替えがされていて「なるほど。そうきたか」って感じで唸り声。原作を未読の人よりかえって読んでいる人の方が、驚きやストーリー構成組み替えに感心するかも知れません。
もちろん未読の人は未読の人で、思い込みとか無しに純粋にストーリーを楽しめるから、真っさらな驚きがあって良いとも思いますけど。
役者さんの演技も皆さん印象深くって良かったです。良い役者と脚本が揃えば、良作は出来るのですよ。残念ながら揃っていない作品が多いですけどね・・・。

 

以下がっつりとネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原作との違い
映画のキャストは以下の通りでしたが↓
耶雲恭介(記者)―岩田剛典
木原坂雄大(殺人事件の容疑者)―斎藤工
松田百合子(耶雲の婚約者)―山本美月
小林良樹(編集者)―北村一輝
木原坂朱里(雄大の姉)―浅見れいな
吉岡亜希子(被害者)―土村芳

実は、この公式サイトなどで書かれているキャスト紹介自体に、原作を読んだ人間への罠が仕込まれています。


原作での真相は
「吉本亜希子」の元交際相手である「編集者」が、彼女を死に追いやった木原坂兄弟に復讐するべく、偽物を用意して「小林百合子」として「朱里」を殺害、「雄大」にその罪をなすりつける――と、いう計画と実行の記録を“「編集者」がつくる本が好きだった”と言っていた「吉本亜希子」に捧げるべく、そして死刑になる「雄大」に真相を知らせて復讐を完結させるため、ライターの「僕」を利用して『小説』をつくった。
つまり、読者が読まされていたこの本『去年の冬、きみと別れ』が「編集者」がつくったその本でしたというのがお話のオチ。

なのですが。


原作では百合子の旧姓は「栗原」。上記のような“死人入れ替わり工作をするために「編集者」と形だけの結婚をして(死体の身元確認を「編集者」が夫として確認すれば、天涯孤独の百合子の死の偽装が容易になるため)、「栗原百合子」から「小林百合子」になる。原作では解りやすく「編集者」が自身の名を名乗る場面がないのですが、この部分から「編集者」の名前・名字は“小林”なんだなとわかる訳です。


原作を読んだ人間はこの前知識があるので、映画で小林良樹(北村一輝)という役名の編集者が、原作で犯人にあたる「編集者」なのだろうと普通に考えてしまうのですが、これがミスリードでして(あくまで原作を読んだ人にはって話しですけど^^;)、実は原作での主人公「ライターの僕」にあたるのだと思わせていた記者の耶雲恭介(岩田剛典)の方が、原作での犯人「編集者」なんですね。
小林良樹は木原坂兄弟の強力者で、お話の後半では事件の謎を追求する役割となっています。


つまり、映画では原作の「ライターの僕」がしていた事件の追及を小林良樹がしており、犯人の「編集者」を記者の“ふり”をしていた耶雲恭介がしています。

このように小林良樹と耶雲恭介の二人の役割を入れ替え、さらに事件経過の時間軸を入れ替えることで観客を騙す仕掛けがされています。※時間軸の入れ替えを匂わせる伏線もちゃんとありまよ。

 

原作を読んだ人間はお話の中盤あたりでの小林良樹の部下のセリフ
彼のプロフィール、まったくのでたらめでした。本名は中園恭介。一年前まで金沢の小さな出版社で書籍の編集者をやっていました」
で、この映画に施された仕掛けに気が付くかと思います。賢い人はもっと早い段階で解るかもですが。

 

この映画の見事な点は、大幅に改変していると見せ掛けて、人物二人の役割と時間軸の入れ替えを変えただけで大まかなストーリー自体は原作のままだというところだと思います。

私も映画観ている最中は「やっぱり、だいぶ改変してるな~」と思っていたのですが、真相部分を観終わった後は「あ、こんなに原作のままなんだ」と妙に感心しました。
小説ならではのトリックを、少しの工夫で映像でも驚ける仕掛けに進化させているのは凄いなぁと。しっかりと原作を尊重しつつ、映画ならではの見せ方の面白さが出来ている優れた映像化作品だと思います。

 

 


イニシャルの変更
原作では若干わかりにくかった献辞のイニシャル箇所ですが、映画ではわかりやすく変更されていましたね。映画では
二人のYKへ
そしてAYに捧ぐ
になっていました。
YKは木原坂雄大(斎藤工)と小林良樹。AYは吉岡亜希子(土村芳)ですね。

 

 


純愛?
映画の触れ込みには“純愛サスペンス”ともあります。犯人「編集者」の吉岡亜希子への思いをさして“純愛”と言っているのでしょうが、はたしてこれは純愛なんだろうか・・・とチト疑問に思ってしまうのが正直なところ。


原作では木原坂朱里(映画では浅見れいな)に


あなたは心配するために彼女を好きになったの。


と、核心を突くことを「編集者」に言うシーンがあるのですが、映画ではこのセリフが省かれていました。映画では盲目の吉岡亜希子を心配するあまりに四六時中観察するようになってしまった恭介は亜希子に別れを切り出されてしまう訳ですが、原作では「編集者」の行動はもっと執拗でストーカーじみたものでした。映画では“純愛”を強調するためか、軽めの描写になっていたと思います。


純愛ウンヌンはどう感じるかは人それぞれですかね。原作で朱里が言うセリフはもっともな事だとも感じます。相手への執拗なまでの愛情は結局のところ自己愛に通じているというか。個人的には原作の「編集者」も、映画の恭介も、犯行自体はただの自己満足なんじゃないかなぁと思いますが。復讐するにしても「彼女に捧げる」とか違うだろって感じ。

 

なにはともあれ、原作の

去年の冬、きみと別れ、僕は化け物になることに決めた」

が映画でもしっかりと描かれていて良かった。

 

原作を読んだ人に是非観て欲しい映画でしたし、原作知らないで映画観た人は是非原作読んでみて欲しいです。映画観た後でも小説は小説でまた別の面白さや違いを楽しめると思います。「ほうほう、こうなってたのかい」って感じで(^^)
原作と映画、セットで味わって欲しい作品ですね。
ミステリやサスペンスが好きな人、気持ちよく騙されたい人にオススメです。

 

※原作のネタバレ記事はこちら↓

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去年の冬、きみと別れ (幻冬舎文庫)

去年の冬、きみと別れ (幻冬舎文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ではではまた~

『ヒトごろし』京極夏彦が描く 新選組・土方歳三の血塗られた生涯!

こんばんは、紫栞です。
今回は京極夏彦さんの『ヒトごろし』をご紹介。

ヒトごろし


今年に入ってからの新刊。京極さんは作品が長大なので有名ですが、単行本で1000ページ越えの新作は久し振り。『嘘実妖怪百物語』とか、3冊に分けての分冊でしたしね。長すぎたからなんですけど(^^;)

 

ハードカバーで1000ページ越えは迫力ありますね。その姿は完全に辞書。立ち読みや持ち歩きには当然適さないので、自宅で机に本を置いた状態で集中して読むのがオススメ・・・と、いうか必然的にそうするしかない(^^;)横になりながら読んだりするのも色々と危険ですので注意。
ファン以外には売る気ないだろってな装丁。この攻めの姿勢、良いと思います(笑)

 

※本を置いた状態なら、ページはめくりやすくって戻ったりもしないし、読みやすいですよ~。

 

 

 

 

※2020年に文庫版出ました。文庫だと全2巻です。

 

 

そして、只今「三社横断 京極夏彦新刊祭」開催中。この新潮社の『ヒトごろし』と、講談社鉄鼠の檻 愛蔵版』と、角川の『虚談』の各単行本の帯についているパスワードを全て集めると2018年11月30日までの期間限定サイトで【百鬼夜行シリーズ】の書き下ろし新作短編が読めます。しかもその短編作品の内容は『ヒトごろし』『虚談』の二作品ともリンクする内容。京極ファンは黙ってやり過ごせない祭りですねっ!

 

※このキャンペーンの短編は後に文庫化されました。詳しくはこちら↓

 

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私はいまだに『鉄鼠の檻 愛蔵版』の実物を肉眼で拝めてないのですが(田舎なので本屋に置いてない)、こちらもハードカバーで1000ページ越え仕様なので、『ヒトごろし』と同じくド迫力なハズ。

 

 


あらすじ・概要
青い空に、真っ赤な血柱が上がった。
それは女の肩から噴き上がっていた。
こんな綺麗なものは見たことがない。

擦り剥けば血は滲む。
切れば、血は垂れる。
傷が深ければ流れる。
でも。
こんなに高く噴き上がる程、人の身体の中には血が流れているものなのだろうか。
飛沫が光って見えた。
淵に落ちる瀧の飛沫よりずっと綺麗だった。
そして。
そのきらめきの中、もっとずっと強く光る物を歳三は見た。

土方歳三は幼少の頃、姉に手を引かれて道を歩いている最中に武家の女が侍に斬り殺される場面に遭遇する。その時に目にした光景が頭から離れず、歳三は「人殺し」に囚われてく。
どうしたら人を殺せる身分になれるのか――。

肚に溜まった黒い想いに駆られ、人でなしの人殺しとして生きる歳三の行着く先とは。
激動の幕末で暗躍し、血に塗れた男の一生。
殺す。
殺す殺す。
殺してやる――。

 

 

 

 

 

 

新選組
この『ヒトごろし』は、新選組の副長・土方歳三が主役の歴史小説お話は終始、土方歳三視点で語られています。
新選組結成から芹沢鴨の粛清、池田屋事件山南敬助の脱走、油小路事件、新選組の解散から戊辰戦争・・・
などの、新選組内での有名(?)事件が描かれ、登場人物も
土方歳三以外に局長の近藤勇沖田総司斎藤一永倉新八藤堂平助、原田佐之助、伊東甲子太郎佐々木只三郎、山崎丞・・・
などなど。新選組ものではお馴染みの面々がしっかりと登場。
読めば新選組の歴史を一通り知ることが出来ます。

※ちなみに、この小説では山南敬助の「山南」は“さんなん”と読ませています。調べたところ、“やまなみ”とどちらの読みが正しいのか確かなことは不明なのだとか。一般的には“やまなみ”の読みの方がドラマや漫画では使われているので、人によっては違和感あるかもしれません。

 

幕末、特に“新選組もの”は絶大な人気のある題材で、度々ドラマ・漫画・小説などの各媒体で取り上げられていますよね。
私自身、新選組のことはドラマや漫画からの、トビトビで、ボンヤリとした知識はある程度ですがありました(ドラマや漫画も一から十までちゃんと観たことはないんですけどね^^;)、コレを読んで今は(一時的に)詳しくなっています。普段は歴史小説って全然読まないのですが、小説でストーリーを追いながらだと、教科書を読むより頭に入りやすくって良いですね。歴史の授業が苦手な学生は勉強法に取り入れると良いかも(私は学生じゃないのでアレですが・・・)。

京極さんは今まで、小説内に脇役で歴史上の人物を登場させることはありましたが

※『書楼弔堂』とか。『書楼弔堂』には勝海舟が登場しますが、この『ヒトごろし』にも出て来ます。京極さんの小説は世界観がすべて繋がっているので、同一の(?)勝海舟だと思って差し支えないかと↓

 

 

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主役にして真っ向から歴史小説を書くのはこれが初。
戦闘能力が高くて行動力ある人物が主役なのも珍しいので(京極作品は口先でなんとかする主役ばっかですからね・・・^^;)かなり新鮮です。


ファンとしては「京極さんが歴史小説!しかも新選組なんて大人気コンテンツを書くだとぅ!?」と、一報を聞いたときには驚いた訳ですが。やはりそこは京極夏彦、通常の歴史小説で描かれる新選組の“ソレ”とはだいぶ趣が異なります。

 

 


人殺し集団
この『ヒトごろし』ですが、どんな小説か一言で説明するなら、
新選組の副長・土方歳三が、人殺し好きの、人が殺したい人でなしの人外(にんがい。今でいうサイコパスになるんですかね)だったとしたら。の、仮定で土方歳三の生涯、新選組の歴史を再構成した小説。

なので、新選組ものではおきまりの忠や義を熱く描く描写はありません。忠や義も愚か者の戯れ言だという風に描かれています。もう新選組ファンに喧嘩売ってるような内容で、登場人物達も通常の新選組もので描かれている姿とはまるで違います。特に沖田総司なんて、美少年設定は皆無の「溝鼠」で、殺し大好き人間として、それはそれは腹立つように描かれています(^^;)。


天下国家も、出世や金や名誉もどうでもいい。忠も義もない主人公の歳三が“人殺しのため”に新選組を作り、暗躍する姿を描いておりまして。
鬼畜の人外いっても、歳三は考え無しに滅多矢鱈に殺してまわる無法者ではなく、小説内の言葉を用いるなら「几帳面な人殺し」
“人殺し”をするために法の網を潜るのではなく、法を利用して、合法的に、誰にも咎められることなく人殺しをする。
ここら辺の算段の過程は読んでいると何だかミステリちっくでもあります。

 

元々、新選組は浪士組で血気盛んな不良が多く集まっていた集団。既存の作品ではその時代独自の思想、忠や義で覆われていて「そんなものだったのかな」と思ってしまいがちですが、内部抗争や粛正を繰り返して敵よりも味方を多く殺している集団なんて、いつの時代であってもまともな集団であるはずがない。普通に考えるなら。なにが「誠」だよ、ですよね。
この小説では「そういう時代だったから」の思想を省き、忠義や正義、武士道などの大義名分で平気で人を殺したり、自ら命を落す行為を批判的に描いています。なので新選組の活躍自体も、単に“殺人行為”として美化も誇張もなく示されています。

 

 

 

 


良すぎる
このような内容の小説なので、新選組ものとはいえ泣くようなことはないなと思っていたのですが、が、・・・・・・私、最終的にボロ泣きしてしまいました(T_T)


しかし、おかしな話ですが泣いている私自身、何故泣いているのかよくわからないんですよね。とにかく読んでいたら目から水が出てきたみたいな(笑)はたしてどういう感情から泣いているのか・・・。とりあえず、まぁ凄かった。
いつもは新刊読み終わったらすぐにこのブログに記事書くようにしているのですが、思い出すと泣けてくるし、記事を書くにも打ちのめされて考えをまとめる事も出来ないしで、落ち着くまで書けませんでした(^_^;)

 

終盤以外にも本全体が時間を忘れさせる面白さです。もうですね、時計見る度に「え?ワープした?」と何度バカみたいに真剣に思ったことか。
1000ページ越えの作品ですが、短く感じます。私は時間的都合で読み切るのに三日かかりました(ホントは一日で読み切りたかったんですけど・・・)。全10章ですが、私個人は1章に2時間ほど毎回かかっていましたね。体感的には1時間なんですけども。私は読むのがだいぶ遅い人間なので、普通の人なら20時間かからずに読破出来ると思います。(と、目安になるかどうかわかりませんが記しておく笑)
極上の読書体験でした。ともかく、メチャクチャ面白くって素晴らしいので本の厚にビビって躊躇せずに、手にとって読んで欲しいですっ!

 

 

 

 

 


『ヒトでなし』との繋がり
こちらの記事でも書きましたが↓

 

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この『ヒトごろし』は【ヒトでなしシリーズ】の一編、前段という位置づけ。


『ヒトでなし 金剛界の章』に出て来る名なしの宗派のお坊さん・荻野了湛(おぎのりょうたん)が登場。諸国を巡って人でなしを捜す修行をしているとかで、人でなしの人殺しである歳三に接触してきます。


「(略)人は人を救えねえのさ。人を救えるなあ、人でねえものだからよ」


と、『ヒトでなし 金剛界の章』と共通のセリフが出て来ます。「ヒトでなし」という単語も作中で何度も繰り返されていますね。
『ヒトでなし 金剛界の章』では「仏の道は人の道にあらず」と語られていますが、本作では

「誠の道はの、天の道じゃ。そら、人の道じゃねえのだよ。人が歩くには難儀な道だ。苛烈な道だ。そこには情けも容赦もねえのだ。誠の道を歩くのは、人には無理なことなのだ。その道を歩くのは人ではなくて」
ヒトでなしだよ

と、新選組の「誠」の旗を見ながら言う場面があります。ここら辺の部分はなるほど【ヒトでなしシリーズ】の前段なんだって感じますね。

単体でも面白く読めますけど、やっぱりあわせて読むとより楽しめますよ~

 

 

 

 


創作部分
この荻野了湛と、歳三に和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)という刀をくれる女・(りょう)の二人は完全な京極さんの創作キャラクターですね。


この和泉守兼定は実際に土方歳三が使っていたという愛刀ですが、誰からどのような経緯で手に入れたのかは不明とのこと。小説ではこの不明部分に創作が施されて独自の味付けがされているのですね~。素敵だ~。ちなみに、この小説内でまともに登場人物の一人として挙げられる女性はこの涼のみです。


了湛と涼の二人は作中の所々で登場します。出番はそこまで多くないのですが、終盤はこの二人が大いに関係してきますね。
歴史的事実を解釈違いで書いている箇所の面白さはもちろんですが、やはりこの作者のオリジナル部分が凄く良いです。人によっては新選組ものに女性が強く関わってくるのは好きじゃないって方もいるでしょうけど、私はこの涼が絡んでくる部分が大好きです。了湛もいいキャラしてて好きですね~(^^)

 

 

 


「ヒトごろし」のこと
この『ヒトごろし』は、新選組の結成から解散までの歴史が中心の小説ですが、描こうとしているのは新選組ではなくって、あくまで「人殺し」のこと。
なので終盤、威信戦争に入ってからの新選組隊士たちの死などはさほど詳しく書かれていません。さらりと歳三の語りで済まされてしまっています。
隊士たちはいずれも個性豊かに印象深く描かれていたので(私は佐之助が好きでした)、死に様がサッサと語られて終わりというのは何だか寂しくて残念に感じてしまいますが、まぁ新選組がメインのお話ではないのでしょうがない。タイトルだって『ヒトごろし』ってだけで、新選組を匂わせるサブタイもなにもついてないですからね。
山崎の死に際は少しクローズアップされていますが、それだって山崎がヒトでなしのヒトごろしだから。

 

主人公の歳三以外にも、人でなしで人殺しの「人外」が多く登場します。

人を殺すのが愉しくってしょうがない沖田総司や、人を陥れるのが好きな山崎丞、金の為なら何でもする吉村貫一郎などなど。吉村貫一郎浅田次郎の『壬生義士伝』で有名ですよね↓

 

 

 

読んでいると新選組“人斬りが出来る仕事”だと思ってこういう輩が集まるのは必然かもなぁと読者に思わせるあたりが巧みなところ。「人外」ではないですが、この小説で描かれている藤堂みたいな、何かにつけてうるさく宣う目障りで役立たずの若造も「いそ~。いたんじゃない?」と、勝手にリアリティを感じてしまいますね。

 

沖田は歳三との対比で度々出て来ます。二人とも“人殺しがしたい”「人外」なんですけど、主役の歳三は確かに凶悪な男で恐ろしさは感じるんですけども、あまり「腹立つ」とか「ゆるせん」とか読んでいても思わないんですよね。むしろ魅力的に感じさせるとこもある。沖田に対してはすんごいムカムカするんですけども(笑)


これはおそらく、同じ“人殺し”でも、歳三は愉しんでいないんだけど、沖田は愉しんでいるからって違いかと・・・。
『塗仏の宴』思い出しますねぇ。

 

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以下ネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦争とヒトでなしと


歳三は人殺しだ。人を殺めるのを好み、人を害することが止められない人外だ。だが、これまで人殺しでいるために歳三が払ってきた代償は限りなく大きいのだ。
歳三は人殺しでいるために、何もかもをかなぐり捨て、持てる限りの知と能とを駆使し、命懸けで臨んで来た。人殺しは決して許され得ない大罪であるということを、十二分に知っているからである。
それが――どうだ。
次次と、簡単に死ぬ。四半刻で十五人が死ぬ。塵芥のように死ぬ。
命がそんなに軽いものなら、歳三の苦悩や苦労は何のためにある。

 

上記はお話の後半、戊辰戦争真っ只中での歳三の心中のぼやきです。
歳三は人殺し好きの「人外」ですが、戦争が大っ嫌い。戦争だと人は兵隊・ただの道具に成り下がり、命はゴミのように軽んじられる。あまつさえ自ら喜んで死ぬような輩まであらわれる。「人」ではなくなってしまう。
思い込みや過剰な理、情を持たないヒトでなしの歳三だからこそ、大義名分などのために簡単に人が死んでいくような状況はおかしいと、誰よりも解る訳です。
戦争の中では
“人外の歳三の方がずっとまともに思える”
のですね。

“理屈を付ける必要はない。理屈を優先するなら、人など殺さずとも良いことになる。殺し合いなどせずとも世の中は変えられる。”

 

“どうであれ、人を殺さぬ道を選ぶべきだったのだろう。”

 

“人の死は、遍く無駄死にだ。”

 

この小説では強い戦争批判と。そして何より、いつの世の、どんな状況下であろうとも「人殺しはしてはいけない」「思い込みで命を捨てるのは莫迦な行為だ」ということを訴えているのですね。

 

 


ラスト
最後、戦場に涼が来ていると了湛に知らされた歳三は、涼との約束「その気になったら斬り殺してやる」を果たすべく、馬に乗って駆けていきます。

涼が向かっていたのは激戦地。あんな処に行けば流れ弾に中たるか大砲で吹き飛ばされるかして死んでしまうが、それはよろしくないなと“その気”になって、女一人を殺すために銃弾が飛び交う中、危険を顧みずに激走します。
涼は歳三と同じものを見て、同じことを感じ、そして歳三に人を斬る刀をくれた特別な女。歳三は自分の大っ嫌いで穢らしい“戦争”に、どうしても涼を“とられたく”なかったのですね(-_-)

 

馬に乗って駆け、人をバッサバッサ殺しながら、歳三はこれまでの「ヒトごろし」を追想していき、その追想は最終的に歳三の「ヒトごろし」の始点、幼少期に姉に抱かれながら袖の隙間から見た場面へと終着します。

この終盤の“その気”になって駆け出してからラストまでの部分はもう、圧巻です。凄いっ(>_<)そして、ホントのラスト。なんって完成されたお話なんだ・・・!との感服もあり・・・。あああ~とにかく、いろいろと脱帽です。

「私は、やっぱり、京極作品が、好きだぁ~!」

と改めて再確認出来た小説でした(笑)

 

 


厚くても読んでよ
新選組を題材にした小説・ドラマ・漫画などに思い入れが強い方は、読むと戸惑いを感じるかも知れませんが、これは「人殺し小説」なんだと割り切って楽しんで欲しいです。新選組に詳しい人の方がより楽しめる部分はいっぱいあると思うので。
京極ファンはもちろんのこと、歴史小説が苦手な人にもオススメ。いろんな人に読んで欲しい作品です。

 

 

 

 

 

ではではまた~

 

 

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