夜ふかし閑談

夜更けの無駄話。おもにミステリー中心に小説、漫画、ドラマ、映画などの紹介・感想をお届けします

『殺戮の狂詩曲(ラプソディ)』御子柴シリーズ6作目!読む人を選ぶ?”アノ”事件がモデル

こんばんは、紫栞です。

今回は、中山七里さんの『殺戮の狂詩曲(ラプソディ)』について感想を少し。

殺戮の狂詩曲

 

あらすじ

高級老人ホームで入居者九人が惨殺される事件が発生。犯人として逮捕されたのは施設に勤めていた介護士。殺害された人数、計画的な犯行、差別的思想による犯行動機・・・事件は複数の意味で世間を震撼させた。

この「令和最初で最悪の事件」の弁護に名乗り出たのは、十四歳の時に幼女を殺害した元〈死体配達人〉の悪辣弁護士・御子柴礼司。

死刑判決は確実、どう考えても勝算のない事件の弁護を請け負うことにした御子柴の企みとは——?

 

 

 

 

 

 

御子柴シリーズ6作目

こちら、2023年3月に刊行された長編小説で、殺人犯という異例の経歴を持つ弁護士が活躍するリーガル・ミステリ【御子柴礼司シリーズ】の第6弾です。

 

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前の5作で親族、恩師、自分のところの事務員と、身の回りの人々が被疑者になることでシリーズが続いてきていました。「なんでそんな皆が皆容疑者になっていくんだよ!」なシリーズ展開で、先回で「もう身内ネタはやり尽くしたぞ。次はどうするんだ」と要らぬ心配をしていたのですが、

 

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そんな一読者の心配をよそに、ちゃんと6作目の長編が刊行されました。

私のような読者の思考を察知してか、作中で“今回の被疑者は絶対に御子柴礼司の関係者ではない”と念押しされています。

 

さて、では負けるのが確実であり、報酬が見込めない、バッシングされて他の仕事も失いかねない、“何の得もなくリスクのみの弁護”に、わざわざ名乗り出た御子柴の真意はいかに!ってのが、今作のメインの謎になっています。

この「御子柴が何故弁護に名乗り出たのか」が物語の謎として最後まで引っ張る構成は、シリーズ2作目の『追憶の夜想曲(ついおくのノクターン)的ですね。

 

『追憶の夜想曲』はリーガル・ミステリとして法廷対決やミステリとしての仕掛けが盛込まれたものでしたが、今作は「御子柴が何故弁護に名乗り出たのか」の謎により主軸を絞った物語になっています。

 

 

 

 

“モロ”なモデル

上記したあらすじから丸分かりかと思いますが、今作は2016年に起こった「相模原障害者施設殺傷事件」がモデル。読み始めてすぐに「うわ、これはあの事件だな」と、分って嫌な気分になりましたね。

 

被害者人数など実際の事件の方がもっと酷いものでしたが、夜間に侵入して結束バンドで職員らを拘束、柳刃包丁を複数本用いて入居者を次々と刺していった犯行方法、優生思想による倫理観の欠如した犯行動機、事件後の被害者実名報道についての論争などなど、“そのまんま”でかなり“モロ”。

 

中山七里さんは実際に起こった事件を題材にすることが多い作家さんで、そもそもこのシリーズの主人公である御子柴礼司のキャラクター設定も実際にあった出来事をモデルにしたものですが、

 

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「相模原障害者施設殺傷事件」はセンシティブもセンシティブな事件で、世間一般での記憶もまだまだ新しいので、さほどアレンジも加えずにそのまま小説の題材にしてしまうのは「だ、大丈夫か、これ」と妙に心配になりました。人によってはちょっと引いてしまうと思いますね。

 

 

 

 

 

シンプルなようなクドいような

そんなセンシティブな事件をモデルにしているだけでなく、この物語では最初の章で犯人・忍野忠泰の視点によって9人を殺害する様がおよそ70ページにわたって執拗に描かれています。

モデルが分って暗澹となるのと、気分の悪くなる描写が続くのでウンザリするのはもちろんですが、シリーズファンとしては主人公の御子柴が登場するまでが長いのがなんとも難点。やっぱりこのシリーズの魅力は御子柴のキャラクター性に支えられているものですからね。

今作は250ページほどなので、70ページとなるとおよそ全体の4分の1。そう考えると殺戮部分にページを割きすぎだという気がどうしてもしてしまうところ。

 

やっとのことで御子柴先生が出てくるものの、「どうしてこんな事件に名乗り出たんだ」と、弁護士会の大物である谷崎先生、ヤクザの山崎、自分のところの事務員である洋子と、順番に同じような内容で追求され、それが終わると今度は被害者遺族の家を一軒ずつ順繰りに訪問して嫌悪されながらも話を訊きに行くのが延々続けられる(話の都合でしょうがないのでしょうが、毎度よく怒りながらも話してくれるなと思う)

で、裁判が始まったら被害者参加制度でこの話を訊きに行った人々が一人ずつ法廷で「被告人を絶対に許すことは出来ない」と意見を述べる。

 

被害家族は9家族。9回同じ意見が御子柴の訪問時と法廷とで繰り返されるので、ここでもまたウンザリしてしまう。どの家族も代わり映えのしない意見なのと、劇的な展開もないので単調なんですね。

 

そんなこんなしていたら、残りページ数は10ページちょっとしかないぞ!という状態に。「おいおい、ちゃんとミステリとしてオチがつくのか」と心配になりますが、ま、ちゃんとつきます。毎度のどんでん返しもちゃんと行なわれます。

凄いですね。10ページちょいでどうにかなるんですよ!変な具合に感心しました。

 

 

しかしながら、やはり決着部分の描写は薄すぎる。最後の10ページほどでやっと御子柴が一手を売ってですからね。事件に関してのどんでん返しネタも衝撃度はあまりないですし。そんなに心境をコロコロ変化させられるものなのかとも思う。

 

事件の真相は実は前フリ、本当のどんでん返しは最後のエピローグでなされるのがこのシリーズの特徴で、今作もエピローグで御子柴の真意が明らかにされてスパッと終わります。

 

淡々と執拗に犯人への糾弾が描かれていたのはこの“御子柴の真の企み”のためだったのだというのは分るのですが、もうちょっと“唸らせる展開”というのが欲しかったですね。リーガルものとして専門的な部分は詳細に描かれていますが、検察側との法廷対決もほぼなくってワクワク出来なかった。

 

正直、物語構成もミステリとしても良い仕上がりになっているとは言い難い。長編よりも中編とかでコンパクトにしたまとめた方が良かったのではないかと思います。この事件をモデルにする必要も感じられない。

リーガル・ミステリよりも「相模原障害者施設殺傷事件」を作者なりに描いてみたいというのがあったのかなとも思いますが。

 

 

でも、シリーズで一貫して描かれている「贖罪」のテーマは今作でもぶれずに貫かれていて、別切り口で描かれているのは新鮮です。やはりシリーズファンとしては今回も外せない作品ではあります。

 

内容的にシリーズ未読の人にはちょっとオススメ出来ないものになっていますが、シリーズファンは今作も是非。

 

 

ではではまた~

 

ボロボロ泣ける!私が”不覚にも”号泣した作品5選

こんばんは、紫栞です。

今回は、今までに私が号泣した作品をジャンル問わずにご紹介しようかと。

 

とはいえ私、ヒューマンや感動物はさほど鑑賞しようとしない人間なのですけども。なんと言いますか、これ見よがしに泣かせようとしてくる作品が苦手といいますか。「そんな思い通りに泣いてやらないぞ!」精神といいますか。何と戦ってんだって感じですけど。

 

十代の時はパソコンも持ってなくて、映画やらを観るときは必然的に親と一緒に居間のテレビでだったので、「人前で泣きたくない」という意識が働いていたんですよね。子供心にからかわれたくないってのがあったので。今も基本的には人前で泣きたくないんですけども。

 

長じてからはミステリエンタメ系の血生臭いものばっかり好んで観たり読んだりでますます遠ざかっている訳ですけど、それでも予期せず号泣する作品に出会うことはあるものでして。

今回はそんな、私が不覚にも号泣した作品を小説・映画・ドラマ・アニメからまとめて紹介しようかと思います。

 

 

 

 

 

 

●『ほんとうの花を見せにきた』

 

2014年に刊行された桜庭一樹さんの中篇小説集。竹から生まれた吸血鬼・バンブーと人間との交流が描かれる。

収録されているのは「ちいさな焦げた顔」「ほんとうの花を見せにきた」「あなたが未来の国に行く」の3編。

号泣したのは最初の「ちいさな焦げた顔」で、収録作の中では一番長い物語。途中の展開があまりにも辛くって残酷でこの時点でもう泣きたいですが、最後のシーンがとにかく良くてボロボロ泣いてしまう。

正直、「ちいさな焦げた顔」の出来が良すぎるので、後の2編は印象が薄いですね。

 

 

 

●『BANANA FISH

 

2018年のアニメで全24話。「バナナ・フィッシュ」という謎の言葉を巡ってのハードロマンサスペンス。1985年~1994年に連載された吉田秋生さんの伝説的漫画が原作のものですが、私は原作未読です。

やはり泣けるのは最終回の24話「ライ麦畑でつかまえて」。手紙読むところからもう“やられて”しまう。「手紙読むとか、卑怯だぞ!泣いちゃうじゃんこんなの!」って感じだった。録画してあるのですけど、哀しすぎてもう一度観ることが出来ず、今日まで再生できずじまいになっている。でも消すことも出来ない・・・。

実は最終回を観る前からある程度の結末は知っていたのですが、それでも泣いちゃいましたね。

 

 

 

●『ヒトごろし』

 

2018年に刊行された京極夏彦さんの超長編小説。新選組副長・土方歳三の血に塗れた生涯が描かれる。

前にこちらの記事でも長々紹介したのですが↓

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タイトルからは泣けるなんて想像出来ないでしょうが、終盤の馬で駆けるところから涙が溢れて止まりませんでした。殺しに行くとこで泣くような場面じゃないのでしょうけどね。自分でも何故泣いているのか読みながらよく分らなかった。文章に圧倒されたということでしょうか。最後のシーンが更に良くってますますボロ泣きした。

 

 

 

●『砂の器』(映画)

 

 

1974年に公開された映画。

この映画についても前に記事で紹介しましたが↓

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1961年に刊行された松本清張の小説が原作で今でも度々ドラマ化される有名作ですが、原作含め、どのドラマも結局この映画版を超えることは出来ていないのが現状ですね。

 

古い作品なので原作読んだ後に「とりあえず」って感じで軽い気持ちでレンタルして観たのですが、原作とは主軸を変えた親子の物語に感動してボロ泣きしてしまった。脚本や演出の大胆さもすべて良い方に作用している日本の名作映画ですね。

原作以上に多くの人に観てもらいたい映画なのですが、ハンセン病というセンシティブなものを扱っているため、テレビ放映されないのが残念なところ。

 

 

 

●『俺の家の話』

 

2021年にTBS系「金曜ドラマ」で放送された宮藤官九郎さん脚本の連続ドラマ。全10話。

元々宮藤官九郎さん脚本のTBS金曜ドラマが大好きで(一番好きなのはうぬぼれ刑事)、このドラマも笑いながら楽しく拝見していたのですが、まさかまさかの最終回でやられちまいましたね。なかには察しがついていた人もいたようですが私はまったく予想出来てなくって、最終回は開始五分で“気がついて”ずっと泣いていました。

 

笑えるシーンもちょこちょこ入るのでその度涙が引っ込むのですけど、父親役の西田敏行さんが喋る度に涙がぶり返して、鼻をすすってで、まるで一時的に花粉症になったような状態に(^_^;)。あんな1時間ずっと泣いていたのは初めてですね。

いきなりの哀しい展開には文句言いたくなるところですが、完璧な脚本で文句を付けたくても付けられないのが悔しい。

 

 

 

 

 

 

 

以上、今のところ思い付くのはこの5作品ですね。普通に泣いてしまったっていうのでしたらもっとあるのですが、ここではあくまで“号泣した作品”に絞って紹介しました。私はそんなに作品数を観たり読んだりしている訳ではないですし、紹介しているものは好きな作家のものだったりと偏っているんですけども。もちろん世の中にはもっと号泣作品があることでしょう。

 

こうしてあげてみると、個人的に“完成度の高いラストシーン”に弱いのかなという感じ。このラストのために今まで積み上げてきた物語があったのだなぁ~と、創作者への感服の想いと相まって涙が溢れるといいますか。

 

実感するのは、年々涙もろくなっていることですね。子供の時は言われても半信半疑だったものですが、「歳をとると涙もろくなる」って本当なんだなぁと。

 

これからも“意図せず”号泣作品に出会っていけたらなと思います。

今回紹介した中で気になったものがあった方は是非。

 

 

ではではまた~

『怪物の木こり』あらすじ・感想 サイコパス主人公の闘いと決意の物語

こんばんは、紫栞です。

今回は、倉井眉介さんの『怪物の木こり』をご紹介。

怪物の木こり (宝島社文庫)

 

あらすじ

善人の仮面をかぶりながら嘘を駆使して大金を稼ぎ、邪魔な人間を日常的に殺害することで成功を収めてきた弁護士・二宮彰はある日、仕事帰りにマンションの地下駐車場で怪物のマスクをかぶった男に「お前ら怪物は死ぬべきだからだ」と告げられ、手斧で襲撃された。

 

頭部に損傷を受けつつも一命を取り留めた二宮は「怪物マスク」を捜し出し、必ずこの手で殺してやると誓う。

 

その頃、世間では殺害後に頭を開いて脳を持ち去る「脳泥棒」による事件が連続して発生していた。

刑事達が捜査を進めると、二十六年前に起こった日本の歴史上最低最悪と称される「東間事件」が関係していることが明らかになるが――。

 

 

 

 

 

 

 

 

サイコパス”の闘い物語

『怪物の木こり』は第17回このミステリーがすごい!大賞受賞作で、2019年に刊行された長編小説。倉井眉介さんのデビュー作です。

 

何やら今作が映画化されるという噂があるみたいですね。確かに「このミス大賞」は近年、映像化に積極的なプロモーションをしているのでありそうな話ではある。

あと、俳優の浜辺美波さんがバラエティ番組で好きな本として紹介していたとかでちょっと話題になっていたのだそうな。

映像化されるっていう「このミス大賞」受賞作は今まで読んできたので、

 

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今回もまた気になって読んでみました。

 

この物語は日常的に人殺しをしているサイコパス弁護士・二宮彰が主役で、襲われて頭に怪我を負ってからの数日間が描かれています。二宮と刑事の戸城風子の語り、各章の終わりに〈幕間〉で「怪物の木こり」という絵本の文が挿入されるという構成。

 

二宮サイドと刑事サイド、それぞれで犯人を追う姿をみせるというものですが、両サイドの“日数経過”と、絵本の「怪物の木こり」の内容が重要な意味を持つ。

 

二宮サイドでの主な登場人物は、二宮と同じくサイコパスで唯一の気の合う友達で医者という、ストーリー上非常に都合の良い設定の杉谷九郎と、二宮が顧問を務めている不動産会社社長の娘で、利害関係の一致からお互いに形だけの交際をしている女優志望の荷見映美

 

刑事サイドは風子の他に、ベテランの、プロファイリングチームのリーダー・栗田など。

 

 

二宮はマスクをかぶった男に突如襲撃されるのですが、この「怪物マスク」の男ってのが世間を騒がせている「脳泥棒」という連続殺人犯。だけども、二宮は警察に襲われた際の詳細を「覚えてない」と話さず、単純な強盗による犯行に見せかける。

こんな目に遭わせた犯人に怒りが沸き、自分の手で直接殺したい!と、奮起して独自に犯人を追う訳でして、サイコパス弁護士と猟奇連続殺人犯との対決が描かれる。

 

作中では絵本をもとにした「怪物の木こり」というティルム・バートン監督が撮った映画があって、犯人はその映画に登場するマスクをかぶっているという設定。

“ティルム・バートン”ですよ。ティム・バートンじゃないですからね!これは完全に架空の映画ですので勘違いしないように。ティム・バートンが如何にも撮りそうな内容とタイトルなのでちょっと本気にしちゃいますよね(^_^;)。

 

殺人常習者が主役という設定など、シリアルキラーの警察官が活躍する海外ドラマの「デクスター」を観たことがきっかけとなっているらしいです。納得ですね。

 

 

 

サイコパス同士の対決というだけでもエンタメ的に面白そうでそそられますが、今作はそれだけでなく、二宮の変化・突拍子のない設定・ミステリとしての仕掛けと、良い意味で予想を裏切ってくれる作品。テンポも良いのであっという間読めます。

 

サイコパス”は様々な作品で題材に選ばれていますが、

 

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トンデモ設定により、これらの作品とはまた違う視点で「サイコパスとは?」が描かれている物語となっています。

 

 

 

 

 

以下、ストーリー中盤までのネタバレ含みます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人から怪物に

主人公の二宮彰ですが、サイコパスなのは分るんですけど、それにしても日常的に、かなり軽はずみに殺人を犯している。遺体の捨て場所に最適な物件を持っているとのことですが、簡単に殺りすぎで冒頭から驚かされます。「なんか、尾行しているヤツがいたから、とりあえず殺しとこう」なんですもん。

 

近年の映画・ドラマ・漫画では特に多いですが、個人的に、ミステリでサイコパスという単語を連呼されるのは好きじゃないんですよ。犯人の行動原理を「サイコパスだから」の一言で片づけられるのが手抜きだと思ってしまうのですよね。

もちろん、どんなにイカレテいようが整合性があるなら良いんですけど。

 

サイコパスとは他者への共感性・恐怖心・罪悪感が欠如した人格障害者のことですけど、連続殺人犯にサイコパスが多いってだけで、“サイコパス=人殺し”じゃないし、人殺しはどう考えても日常生活の継続を願う上でリスクが高いのだから、いくら罪悪感がなくっても賢ければそんなバカバカ殺したりしないでしょう。諸々面倒でしょうしね。

 

快楽目的でやっているのだというなら分りますが、二宮の場合は単に邪魔な人、そうなりそうな人をその都度深く考えずに殺害してですからね。弁護士のわりに、頭が悪そうな方法をとっているなと。本当に賢いなら、もっとリスクの少ない方法を選ぶはず。これ、貴志祐介さんの悪の教典を読んだ時も思いましたけど。

 

 

はて、そんな二宮ですが、物語冒頭で頭に怪我をして以降様子が変わっていく。恐怖や驚きや感動、今までなかったはずの人間らしい感情が芽生えだすのです。

 

実は、二宮は人工的に“つくられた”サイコパス「人をサイコパスにする実験」を行なって多くの子供を殺害したとされる27年前の「東間事件」の被害者で、二宮は幼少の頃にその犯人によって人体実験され、脳味噌にチップを埋め込まれていた。

 

この度の襲撃で頭に損傷を負ったことでそのチップが壊れ、本来の脳機能が戻ったという訳です。

 

 

 

 

 

怪物から人に

「脳チップ」とはまた突拍子もないものを出してきたなという感じですが、このトンデモ設定が物語に上手く作用している。サイコパスから通常の人間になる」という特殊設定が、ただの犯人捜しをするサスペンススリラーというだけではない、人間そのものを問う物語にしているのですね。

 

二宮は自分の頭にチップが埋め込まれていたなどまったく知らずに生きてきたので、当然ながらサイコパスの自分を本来のものだと思っていた。しかし、それが勝手に変えられたものだと知り、戸惑う。

当然ですね。今までの自分が丸々否定される訳ですから。

 

感情は欠如していたのではなく、押さえつけられていただけ。奪われていたものが戻ってきて、さて、二宮はどうするのか。

 

読んでいて、浦沢直樹さんの漫画作品『MONSTER』のグリマーさんを思い出しましたね。作中に出て来る絵本「怪物の木こり」は、『オズの魔法使い』の「ブリキの木こり」を元ネタにしているようですが、『MONSTER』に出て来る絵本に文章と雰囲気がよく似ているので、『MONSTER』も参考にしたのではないかなと。

 

 

事情を知っている友達の杉谷と、事情を知らないながらもその慧眼で色々と見抜いてくる映美、二人との二宮のやり取りが面白かったです。映美の歌を聴いて感情があふれ出すというのが良かった。

 

弁護士という設定が活かされていないのと、刑事さんたちの影が薄いのが少し残念ですかね。特に風子は発言が考えなしで発想も単純すぎて「見学に来ている学生か?」って感じだった。

あと、著者の書き癖なのでしょうが、「~とは、な」「~だが、な」という言い回しが多用されていて、皆同じ口調で話しているのが不自然で引っ掛かりましたね。大賞を受賞したものの、文章が拙いということで単行本、文庫とかなりの加筆修正があったらしいですが、担当さんはこれを何故指摘しなかったのかと思う。

 

 

作者の倉井眉介さんは、機会があれば『怪物の木こり』の続編を書きたいとのこと。二宮彰の今後もですが、ラストに犯人によって忠告されたことの意味と結果も気になりますし、続編が出たら是非読みたいと思います。

 

 

ではではまた~

ブラック・ジャック「犬のささやき」が、いかに優れた短編かを伝えたい

こんばんは、紫栞です。

今回は、手塚治虫の漫画作品ブラック・ジャックの中の一編「犬のささやき」について少し。

ブラック・ジャック 9 ブラック・ジャック (少年チャンピオン・コミックス)

 

法外な金額を請求する無免許天才外科医のブラック・ジャックが、様々な依頼と患者に接していく連作短編漫画『ブラック・ジャック』。「犬のささやき」はその98話目の作品。

とはいえ、『ブラック・ジャック』は様々な事情による未収録作品が多々あるので、話数で本を探すとややこしいことになるのですが。

 

チャンピオンコミックスでは9巻、新装版では7巻、

 

 

 

手塚治虫文庫全集では5巻、

 

 

 

秋田文庫では11巻(※秋田文庫版はエピソード収録順がランダムで連載時の掲載順とは異なる)

 

 

にそれぞれ収録されています。

 

20ページほどのお話。ま、『ブラック・ジャック』は基本が一話20ページほどなのですが。毎度思いますが、どの話も20ページで描ききっているのには驚きですね。

 

どのネタもコミックス一冊使って描いても良いだろうにってものですし、体感的にはそれぐらいのボリュームのものを読んでいる気にさせられる。ネタもですが、漫画の構成と省略の上手さがピカイチなのだなと。

 

そんな名作ぞろいの『ブラック・ジャック』の中でも、この「犬のささやき」は個人的にかなり上位に食い込む完成度の高さのお話だと思っているのですが、この間「この話、最後が半端で何したいんだかよく分らない」という意見を偶々見かけまして。

「なんたることだ!」と、なったので、私なりにいっちょ解説してみようかと。もちろんあくまで私見ではありますが。

 

 

 

 

 

あらすじ

交通事故で恋人のさよりに死なれてしまった忠明は、ブラック・ジャックにさよりの愛犬・ヌーピーに「彼女の声をしゃべらせたい」と依頼する。

さよりの声をとったカセットをマイクロ化してヌーピーに仕込み、なくたびに彼女の声が再生されるようにしてくれと。

そんな細工は動物虐待だし気がすすまないと言うブラック・ジャックだったが、頼み込まれて「一年間だけ」という条件つきで依頼を引き受ける。

最初のうちはヌーピーとさよりを重ねてみることが出来て満足していた忠明だったが――。

 

気がふれているとしか思えない依頼でして、ブラック・ジャックも聞いた瞬間「おまえアホか!!」と叫んでいる。まったくその通りでちょっと笑ってしまう。ハッキリ言う先生、好きです!なんですけども、このセリフ実は改変されたもので、雑誌掲載時はアホに加えて「キチ○イ」と叫んでいるセリフだったらしい。

時代の所為ではありますが、『ブラック・ジャック』はこういったセリフの改変が多いですね。

 

 

彼女の声が録音されたテープですが、ベッドの中での睦言を忠明が冗談半分で録音してみせたもので(悪趣味。今の時代だったら絶対スマホでベッドの動画撮る系の男ですよこれは)、内容は「あなた愛してる」「好きよ」「好き」「好きなの」「ほんとに好き」「愛してるわ忠明さん」といった代わり映えのしないラインナップ(ま、睦言なんでそんなもんだ・・・)で、この限られたセリフがランダム再生される。

 

亡き最愛の人の声とはいえ、いくらなんでもこのセリフばかり延々と、しかもヌーピーが吠える度に聞かされたら飽きるし、ノイローゼにもなろうってものですよね。

しかも、テープの中には消し忘れた忠明の声で「殺してやる」という物騒な一言も入ってしまっていて、その度ドキリとさせられるというオマケつき。

 

 

 

以下、ネタバレ解説~

 

 

 

 

 

 

 

早々と忠明は嫌気がさしてしまい、ヌーピーを避けて行動するようになる。

亡くなった恋人への誓いも虚しく、新しい恋人を作る忠明。しかし、当然ながら新しい彼女にヌーピーは気味悪がられ、忠明はヌーピーを遠くに捨てるが、三ヶ月かけて痩せて泥んこの姿で戻ってくる。たまりかねて、忠明はヌーピーを箱に入れた状態で線路上に放置し、殺そうとする。

後になって、今日がブラック・ジャックと約束した1年目の日だと気づき、忠明は線路へと慌てて戻るが、ヌーピーは自力で箱から脱出していた。草むらから忠明を見て、「殺してやる」と鳴くヌーピー。それに気づいた直後、忠明はやってきた電車に轢かれてしまう・・・・・・。

 

 

なんとも奇譚話風というか、ホラーテイストのお話ですね。

テープの声はランダム再生で意味のないもののはずですが、各場面やヌーピーの心情と合うようになっていて、ヌーピーを通してさよりの亡霊がそのまま喋っているように見えるのが巧み。

 

やせ衰えている状態で「あなた愛してる・・・・・・・・・!」と鳴いて玄関先に現われる姿もホラーですが、極めつけは忠明が電車に轢かれる直前の「殺してやる」ですね。サラリと描かれていますがめちゃくちゃに怖い。

 

一見、まるで彼女の亡霊が心変わりした不実な恋人を取り殺そうとしたように見えますが、でもこれ、「殺してやる」はさよりの声じゃなくて忠明の声なんですよね。

 

そもそもこの「殺してやる」、どんな流れで言ったものかというと、ベッドの中で「僕らを誰かがひきさこうとしたら、僕はそいつを殺してやる」と忠明がさよりに宣言したもの。

さよりのことを最愛の人だと言っていた忠明ですが、さよりの死後、一年も開けずに新しい恋人を作り、さよりの愛犬でさよりの声を発するヌーピーを遠ざけ、殺そうとした。

 

これは過去の“さよりを愛していた忠明”自身への裏切りであり、忠明は自らの言葉をそのまま身に受ける結果になったといえる。

 

 

戻ってきた姿を見て一旦は介抱しているし、最後は思い直して助けようとしているなど、忠明の人物像がまるっきり悪人だという風に描いていないのがまた上手い。

バカなのは間違いないですが、一般的な善良さは残している人物なので、この結末がより怖く、やるせなく感じられるのですね。

 

 

ラストは、ヌーピーが自らブラック・ジャックの家に向かって走っているところで終わる。

子供の頃に読んだ時は、自分をもとに戻してもらうために走っている、家の場所をちゃんと覚えている賢い犬なのだなぁとだけ思っていたのですが、忠明の息がまだあるのをみて、忠明を助けてもらうために走っているのだと受け取る方が自然ですかね。

 

最後の2ページがとにかく良くって、轢かれる前の「殺してやる」も、電車に轢かれた忠明に近づいて「好きよ・・・・・・・・・・・」「愛してるわ・・・・・・忠明さん・・・」と顔を舐める時も、ヌーピーは忠明に対してとても愛しそうな表情をしているんですよね。愛憎の入り乱れが表現された、怖いけれどもどこか切なさのある物語となっています。

 

 

この犬への細工、ブラック・ジャックが引き受けるのはどうにも違和感があるのですが、ブラック・ジャックは実際にやってみせることで忠明に「こんなのは人間のエゴだ」と思い知らせようとしたんですかね。

忠明が早々に後悔するだろうことも分っていて、ヌーピーがどうこうされるのを防ぐために「一年間」という期限をつけた。ま、忠明は思っていた以上にバカで、約束の一年を忘れて殺そうとした訳ですけど・・・。

 

犬に細工して、亡き恋人の代わりをさせようなんて、あまりに勝手で酷い思いつき。ヌーピーだって元の飼い主を亡くして悲しいはずなのに、“さより役”を背負わされるとは。

最後のヌーピーの走っている姿は、“さより役”から解放されて、ヌーピーが自分自身を取り戻している姿ともとれますね。

 

 

犬に人間の言葉を喋らせるという内容と、一部の変態チックな描写に目が行きがちな作品ですが、とても巧緻な計算がされた、深みがある完成度の高い作品なので、気になった方は是非。

これだけでなく、『ブラック・ジャック』はホントに名作ぞろいの傑作連作短編漫画!で、医療漫画の金字塔!なので、是非是非。

 

 

 

 

 

ではではまた~

 

『推し、燃ゆ』あらすじ・感想 しんどい!共感度がハンパないオタクにとっての絶望小説

こんばんは、紫栞です。

今回は、宇佐美りんさんの『推し、燃ゆ』について感想を少し。

 

推し、燃ゆ

 

「2021年もっとも売れた本」と帯に書かれているこちら、第164回芥川賞受賞作。『推し、燃ゆ』は宇佐美りんさんのデビュー作『かか』の次に刊行された作品で、21歳での芥川賞受賞は歴代三番目の若さ。当時かなり話題になった作品ですね。

題材に興味が湧いて、今更ながら読んでみました。

 

 

オタクにとっての救いと絶望の書

内容は一言で言うと、「推しが炎上する話」

「推し」とは、辞書的な意味では”他の人に薦めること“ですが、ここでの「推し」は特定の人や物を応援することを意味する造語を、「炎上」は物理的な”燃える”ではなく、ネット上で批判や誹謗中傷が集中してしまう状態を指す。

 

主人公・あかりは、男女混合アイドル「まざま座」メンバー・上野真幸(うえのまさき)を推すことに生活のすべてを費やしている女子高生。しかしある日、推しの上野真幸がファンを殴る事件が発生し、炎上。あかりの「推し」のための日常は変化を余儀なくされる――。

 

あらすじとしてはこんなもので、内容は本当にシンプル。推しの炎上に直面することとなってしまう熱狂的ファンの戸惑いと絶望が描かれる。ページ数も100ページちょっとであっという間に読めてしまいます。

 

“推しが燃えた。ファンを殴ったらしい

という書き出しが素晴らしく、目を惹く。この書き出しに心掴まれて購入した人は多いんじゃないかと思いますね。

 

私も「推し事」といえるほどの事はしていませんが応援するアーティストや俳優がいて、友達にもアイドルのファンクラブに入っている子がおり、会う度その手の話題でキャッキャと盛り上がるので、”推しの炎上“は想像するととても恐ろしい。

芸能人のスキャンダルを知ると、その度に推しの炎上に直面しているファンの心情を想像してはいたたまれない気持ちになります。

 

この本は”それ“が容赦なく描かれている本で、熱狂的ファン・オタクに何処までも寄り添ってくれながらも、容赦ない”終わり”を突き付けてくる。

 

帯にある豊崎由美さんのコメント、

”すべての推す人たちにとっての救いの書であると同時に、絶望の書でもある“

が”まさに“、ですね。

 

 

 

 

 

 

以下、ネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

偶像に生かされるということ

作中では「ふたつほど診断名がついた」と書かれているのみで具体的には明かされていないのですが、主人公のあかりは発達障害を持った女の子。

 

家でも学校でもバイト先でも”生きづらさ“を感じていて、その”生きづらさ”から唯一逃れられるのは、推しを推しているときだけ。

 

推しが出ているものはすべて見て、推しの発言はすべてノートに書き出し、ブログやSNS でファンと繋がり、推しカラーで身の回りのものを統一、ままならないながらも推し活のためにバイトに励んでグッズを買い、お金も時間も推しに費やす。

 

そんなあかりにとっては、「推しは命にかかわるからね」で、自分を支える「背骨」「中心」

 

「推し」という題材同様、この発達障害の描写も高く評価されている今作ですが、「なぜ主人公を発達障害の設定にする必要があるのか」と疑問に思う人もいて、私も同意見ではある。別に障害を持ち出さなくても成立する物語なのになぁと。

皆が普遍的に抱えている疎外感や閉塞感、劣等感を際立たせるためですかね。描きたいのは“熱狂的ファンとはどういうものか”ではなくって、“生きづらさに悩まされる若者”。

 

 

「推し」といってもファンのスタンスはそれぞれ違っていて、とにかく盲目的に信奉する人、恋愛対象としてみている人、認知されたい人、影ながら応援したい人、作品にしか興味がない人など様々ですが、あかりのスタンスは「作品も人もまるごと解釈し続けること」

解釈することで、推しの見る世界を見て、推しと同調・共鳴したいということでしょうか。

 

地下アイドルを推していて、認知をもらって裏で繋がりたい、付き合いたいというスタンスである友達の成美が、あかりとは対照的な存在のファンとして描かれている。

それまでの推しが留学して活動を止めてしまったことから別ジャンルへと移った成美と、「未来永劫、私の推しは上野真幸だけ」と、頑なで一途(?)なあかりってのも、ファンの在り方の違いを見せつけられますね。ま、この人だけ!って思ってはいても、素敵な芸能人は一杯いますから、なんやかんや別で推す人が出来たりするんですけどね~。しかし、“最初の人”はいつまでも特別だというのはあると思う。

 

私は、どちらかというとあかりの推し方に共感しますね。リアルで触れ合いたいとはそんなに思わなくって、あくまで有象無象のファンとして応援したい。わかる。

 

私のような“にわか”なお茶の間ファンはともかく、あかりの推し方は「信仰」に近い。神(推し)の教え(考え)を理解するため、提供された情報を探求し、よりどころとする。

尊敬・崇拝して、推しを神格化する。

 

しかし、推しは仏陀やキリストではなくって、生身の、私達と変わらぬただの人間。だから破綻が生じることとなる。

 

ファンはどうしても知ったような顔で推しのことを語ってしまうものですが、他人を完全に理解することなど不可能。解釈し続けたところで正解なんてないし、結局のところ、あかりは上野真幸がファンを殴った理由なんて分りやしない。表舞台に立っている推しの姿は「偶像」で、“作り物”なのだから。

 

分ってはいても、ファンとしてはこの現実を叩きつけられるのはやはり辛いものです。

 

 

 

 

 

 

 

骨を拾う

〈病めるときも健やかなるときも押しを押す〉あかり。「ほんとのファンなら落ち目の時こそおうえんしなくっちゃ」な、のび太くんのセリフそのままに、今まで以上に必死に推し活に励みますが、事はどんどんと無常な方向へと進む。

 

ファンの女性を殴り(交際していた女性だったのではと噂が立つ)、確りとした弁明もしなかったことで炎上は加速。グループで一番人気だった上野真幸のファンは離れていき、人気投票では最下位に。インスタライブで公式発表より先にグループが解散することを明かし、その後の正式な記者会見では左手の薬指に指輪をして“結婚”を匂わせ、解散と同時に芸能活動を引退することを告げ――。

 

いやぁ、最悪な顛末ですね!

こんな、こんなの・・・ファンが気の毒すぎる。

まず、あかりが推している上野真幸の行動は、お世辞にも褒められたものではないですよね。いやいや、ダメでしょ、これは。夢を見せ続けてきたからには、責任が伴うと思うのですよ。私は。

 

でも、現実にもありふれていることなんですよねぇ・・・それがリアル。あかりの推しは解散ライブしてくれただけまだマシなのかとも思うけど。でもかえって残酷なのだろうか・・・。

 

幼少の頃にピーターパン役をしていた上野真幸は、あかりをネバーランドにいざなって、おいてけぼりにして立ち去る。

 

これって、本当に絶望的な推しの終わり方だと思うんですよね。光り輝いている、パフォーマンスも申し分ない“まだまだ出来る”であろう推しが、突然表舞台から姿を消してしまうのって。

 

“終わるのだ、と思う。こんなにもかわいくて凄まじくて愛おしいのに、終わる。”

 

私はある芸能人のお茶の間ファンだったのですが、ある日いきなり、訳が分らない、本当に分らないままに「終わり」ました。あかりが置かれた状況とは全然違うんですけど、この一文は特に胸に迫ってくるものがあって特に辛かったです。

 

 

吹っ切るためか、SNSで特定された上野真幸のマンション前まで行ってみたあかりは(※マンションまで行くなんて絶対やってはいけない迷惑行為なのでダメですよ!)、ベランダの洗濯物を見て“推しは人になった”と痛感。もう上野真幸をいつまでも見て解釈し続けることは出来ない事実を決定的に理解する。

 

推しはアイドルという「神」から生身の「人」に。「信仰」していたあかりは、「神」を喪失してしまう訳です。

 

それで、あかりはどうなってすまうんだ・・・!なんですれども、どうともならない。

あかりにとって、“推しのいない人生は余生”

 

“一生涯かけて推したかった。それでもわたしは、死んでからのわたしは、わたし自身の骨を自分でひろうことはできないのだ。”

 

最後は、あかりが自分でぶちまけた綿棒を拾うところで終わる。

 

綿棒は骨に見立ててのものですね。「背骨」と「中心」を失ったあかりは、全身を使い、這いつくばって散らばった「骨」を拾いながら、“当分はこれで生きよう”と、思う。

 

「中心」だった推しを推すことだけでなく、今までの「全体」すべてで“わたし”だと気がついて終わっているので、一応成長はしているのかと思いますが、この後、あかりはどうなるのですかねぇ。

 

学校を中退し、バイトをクビになり、就職活動もせずに亡くなった祖母の家で独り暮らし状態ですけど。

あかりは推し活のためじゃないと働く意欲が湧かなそうだしなぁ。また新たな推しに出会えたら、今度は適切な(?)推し方が出来るだろうと思うのですが。

 

 

今作は、オタク世界にまったく興味がない人には一々大仰でピンとこない物語かと思います。「つまらない」「もっと現実を見ろよ」といった具合に。なので、読む人は選ぶ作品ですかね。

でも、生きることに嫌気がさしても、推しがいるからこそ踏ん張っていられるという人間はいるんです。虚構だと分ってはいてもね。「本当」だけの世界なんて味気ないですし。

 

私はアイドルファンではないですが、人が作る創作物を楽しみに過している身としては共感だらけの小説でした。とにかくオタクにとっては名言だらけ。

しんどいですけど、すべての推す人たちにオススメしたい本です。

 

 

気になった方は是非。

 

 

 

ではではまた~

『仮面山荘殺人事件』ネタバレ・解説 「もう幕だろ」「仮面」の意味とは?

こんばんは、紫栞です。

今回は、東野圭吾さんの『仮面山荘殺人事件』をご紹介。

仮面山荘殺人事件 (講談社文庫)

 

あらすじ

ビデオ制作会社社長・樫間孝之は結婚式を数日後に控えていた矢先、交通事故によって婚約者の資産家令嬢・森崎朋美に先立たれてしまう。

三ヶ月後、毎年恒例だった朋美の両親が所有する山荘での集まりに孝之は招かれ、親族、秘書、主治医、朋美の親友など、ごく内輪の面々で朋美を忍んで語り合った。

しかしその夜、逃亡中の二人の強盗犯が山荘に侵入し、銃で脅された八人は外部との連絡を絶たれて監禁されることとなってしまう。強盗犯は仲間と合流するまでここに居座るといい、八人は何とか脱出を試みるが、まるで“強盗犯以外の何者か”に妨害されているかのように作戦はことごとく失敗する。

 

まさか、この八人の中に裏切り者が?しかし、一体何故・・・。

 

そんな中、八人のうちの一人が殺害される事件が発生。犯人は強盗犯以外の七人の中にいるとしか思えない状況。さらに、朋美の交通事故死への疑惑が持ち上がり、皆は互いに疑心暗鬼に陥っていくが――。

 

 

 

 

 

 

“どんでん返し”初期の有名作

『仮面山荘殺人事件』は1990年に刊行された長編小説。東野圭吾さんのデビューは1985年なので、かなり初期の作品ですね。

 

初期の作品でシリーズ外作品、東野圭吾お馴染みの(?)実写映像化もされていないので(※2019年に舞台化はされています)、他作に比べて世間一般の知名度は薄いかもしれないですが、どんでん返し系ミステリのオススメランキングなどでよく紹介されているので、ミステリ界隈ではとても有名な作品だというイメージ。ミステリファンならとりあえず読んでおけよ、みたいな。

 

個人的にそんなイメージを長年持っていたものの、東野圭吾作品はシリーズものや映像化されるものばかり優先していたので今まで読まずじまいでした。

 

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この度、ようやっと読んでみた次第です。

 

読んでみると、なるほど、これは当時衝撃だっただろうなと納得の一冊。とにかくトリックが度肝を抜くもので、終盤で二転三転する真相には見事に翻弄される。確かに、どんでん返しミステリが好きだと言う人には「とりあえず読んで」と言いたい作品です。

 

 

当初は徳間書店からトクマ・ノベルズで刊行されたのですが、1995年に講談社文庫から刊行されたので、今では圧倒的に講談社文庫版の方が手に入れやすい。

 

 

講談社文庫で背表紙がオレンジだと「東野圭吾作品だぁ~」って感じですね。文庫で280ページほどと読みやすいボリュームなので、ミステリ初心者、読書自体に慣れしていない人にもオススメです。

それなりに知名度のある東野圭吾作品なのに、2023年現在まで映画化やドラマ化がされていないのは意外ですね。“あの”真相が怒られるからか・・・?

 

 

 

 

 

クローズド・サークル×強盗パニック

山荘に八人の男女が閉じ込められ、殺人事件が起こるという展開はミステリのクローズド・サークルのオキマリ設定ですが、今作は天候不良、橋が落ちた、孤島で船が来ないなどの理由で外部との連絡が絶たれての閉鎖空間ものではなく、逃げてきた銀行強盗犯が山荘に侵入してきたことで監禁されてしまうという一味違うもの。

 

いわば、本格推理小説のクローズド・サークルと、強盗犯と対決するサスペンスが合わさった物語。

銃を持った強盗犯との対峙という緊張状態のなか、強盗犯から逃れようと様々な策を講じていく展開はサスペンスとして読ませてくれますし、一味違う状況でありながらも、起こる殺人事件は本格推理小説のド定番そのまま。

 

サスペンスの定番と、本格推理小説の定番。この二つの定番が一つの物語の中で展開されるという、ある意味とても奇妙な構成がこの作品の持ち味になっていると思います。

見方を変えると、一つの作品で二つのジャンルを一緒くたに楽しめる、“お得な”作品ともいえる。

 

とはいえ、強盗犯と対峙している中で"強盗犯以外の人物による殺人事件”を起すという“荒技”を遂行するべく、ストーリー展開にはかなりの無理がみられます。

 

「仲間とここで合流する予定だから」と、八人も人が集まっている山荘に居座り続け、縛り上げて一部屋に閉じ込めずに比較的自由に行動させ、各自の部屋で寝るのを許可するなど、逃亡中の銀行強盗犯の行動としては不自然だし、監禁されている只中で朋美の事故死について議論し始めるなど、妙にご都合主義な流れで物事が進んでいく。

 

「この状況下で本格推理ものやろうってんだから仕方ないのか・・・」と、違和感を感じつつも読者は読み進める訳ですが、この諸々の“奇妙さ”にはちゃんと理由があり、このこと自体が謎を解く鍵となっている。

 

クローズド・サークルと強盗パニックの無茶な合わせ技は、楽しませつつも読者をペテンにかける壮大な罠。本を読み始めた瞬間から私たちはすでに騙されているのです。

 

 

 

 

 

※以下がっつりとネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朋美の従妹・雪絵が殺害され、「犯人はお前たちのなかにいるはずだから、お前たちで誰が犯人なのかはっきりさせろ」と強盗犯に言われて、秘書の下条玲子は推理によって朋美の父親・伸彦こそが犯人だと指摘する。

 

伸彦は朋美の婚約者・樫間孝之に横恋慕していた雪絵が、ピルケースの中身を睡眠薬に入れ替えることで朋美を事故に見せかけて殺害したのだと確信。いつか復讐してやると思っていたところに、強盗犯が侵入してくるという異常事態が発生したので、この混乱に乗じて雪絵を問い詰め殺害した。

下条玲子の推理によって追い詰められた伸彦は窓から飛び出し、湖に身を投げ自殺。

強盗犯たちは朝になったら自分たちは山荘から出て行くといい、人質として樫間孝之を一人ラウンジに残して就寝することに。

しかし夜中になって、死んだと思われていた伸彦が孝之の前に姿を表す。伸彦は、雪絵は朋美の死に関して誰かを庇っていたのではないかと思い至り、それを確かめるために戻ったのだと孝之に説明する。

それを聞いた孝之は、伸彦の首を両手で締め始める――。

 

あの事故の日、朋美の死を願ってピルケースの中身を入れ替えたのはこの物語の語り手・樫間孝之だった。

孝之は朋美という婚約者のいる身でありながら美しい雪絵に心惹かれ、どうやら雪絵も自分を好いてくれているようだと知ると「朋美さえ死んでくれればすべて上手くいくのに・・・」と、思いあまって犯行に及んだ。

 

伸彦にこのまま事の真相を見抜かれては身の破滅。孝之は伸彦を殺害しようとする。

 

しかしそこで、孝之は驚愕することに。皆が一斉に現われ、「これはすべて芝居だった」と種明かしされる。

 

強盗犯二人も、秘書の下条も、主治医の木戸も、途中山荘に様子を伺いに来た警察二人も、伸彦が顧問をしている劇団の役者で、脚本を書いたのは朋美の親友で作家の阿川。

 

強盗犯が来たことも、殺人事件も、すべて作りものの芝居。つまり、実際は“何も起こっていない”。語り手の樫間孝之を、登場人物全員で騙したいたという訳です。

 

 

いや、そんなのアリかよ・・・。

 

なんですけども(^_^;)。これやっちゃったら「何でもアリじゃん」と言いたいですし、作中にそれらしい伏線も見当たらないので、最後にいきなりこの真相を明かされても推理小説としてはアンフェアだと怒る人もいるのではないかと思います。

 

実は、物語のヒントは作中ではなくもっと目立つ部分にあからさまに示されている。

「仮面山荘殺人事件」というタイトルと、目次が「章」ではなく、「幕」となっているところですね。

 

タイトルの「仮面」に込められている意味は、登場人物皆が本来とは違う「仮面」を被って嘘をついていること、山荘での出来事自体が虚構の「仮面」であること。

目次の第一幕~第六幕は、そのまま「芝居」を表す。第一幕のサブタイが「舞台」なのもダメ押しですね。

 

このように、ヒントが“モロ”なぶん、かえって気がつかないと。読み終わってから改めてタイトルと目次見ると、弄ばれたな感が凄い。妙にご都合主義な展開も、それ自体が「芝居」だと見抜くヒントなんですね。

 

 

負け惜しみ的ではありますが、個人的にはもうちょっと作中にもそれらしい伏線張って然るべきなのではないかと思う。推理小説ならば。

 

とはいえ、“ロジックでの犯人追及”からの、“犯人が死んだと見せかけて生きている”からの、“語り手が実は罪人という叙述トリックからの、“全部お芝居でした”という怒濤のどんでん返しは読んでいて楽しい。

二転三転する真相に翻弄されるのはこの手の本の醍醐味ですね。

 

 

 

 

 

 

殺意の証明

伸彦たちがこんな大掛かりな芝居をしたのは、孝之の朋美への殺意を証明するため。

 

孝之は朋美のピルケースの中身を睡眠薬にすり替えた。しかし、死後に確認されたところピルケースの中には錠剤が残っていたと聞かされ、孝之は「朋美は睡眠薬を飲まなかった。朋美は本当に事故死で、自分は罪を犯さずに済んだのだ」と安堵していたのです。

 

しかし、山荘に来て雪絵が自分を庇うために減った錠剤の補充をしたのではないかと思い至り(※芝居でそう誤認させているだけで、雪絵はそんなことをしていない)、やはり自分が雪絵を殺したのだと一気に不安に襲われる。

 

実際は、朋美は自殺でした。

雪絵に「その錠剤は睡眠薬ではないか」と指摘され、ピルケースの中身が孝之によってすり替えられているのに気がつき、“孝之が自分を殺そうとしている”事実に絶望して、朋美は一度停車させた後で崖に突っ込んだ。

このような仕打ちをされたにもかかわらず、孝之を庇うためにすり替えられた睡眠薬を捨て、本来の鎮痛剤を入れ直して。

 

あまりに痛ましい真相で、伸彦たちとしては孝之をこのままではすましておけない。しかし、結局のところ朋美は自殺であり、孝之を法律で裁くことは出来ない。なので、孝之の殺意を証明し、どれだけ酷い罪を犯したかを自覚させようとした。それが伸彦たちの復讐なんですね。

 

“いや、実際すべて虚構の物語だったのだ。そして今こうして自分が何もかもを失ったということだけが事実なのだ。”

 

打ちのめされた孝之は、朋ちゃんを裏切らないでって、お願いしたのに」と言い募る雪絵に「もう幕だろ」と言って山荘を立ち去る。

「もう幕だろ」の意味は、「これで貴方達の復讐は完遂した。お芝居は終了でしょう」って意味ですね。

ここら辺の人間ドラマも今作の見所の一つ。

 

語り手の樫間孝之は朋美との仲を清算して雪絵の結ばれたいと願いつつも、資産家令嬢の朋美との婚約がご破算になれば伸彦からの仕事上の援助が受けられなくなるし、世間体も悪いので、朋美を死なせてしまおうとした。

 

打算と欲まみれの許しがたい人物なのですが、“魔がさして”の犯行であり、欲と良心の間で揺れ動く非常に人間臭い人物でもある。

だからこそ伸彦たちの復讐も効果を絶大に発揮する結果になったと。罪悪感をまったく抱かない人物だったら、伸彦たちのこの大掛かりな芝居はただただ徒労でしかないのですからね。

 

このような三角関係による人間ドラマはパラレルワールド・ラブストーリー』を連想させますね。不貞の誘惑に負けてしまう男女と、純粋故に一人割を食うことになってしまう犠牲者・・・。

 

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良識人風だけどよくよく考えると罪深い雪絵とか、いかにも東野圭吾作品的女性だなと思う。

 

 

今作は死人も逮捕者も出ない、そもそも“事件が起きていない”、ある意味とても平和的なミステリ。(過去に自殺者が出てのものではありますが)

 

そのため、この仕掛けを知って「つまらない」「ただの茶番じゃないか」と思う人も多く、賛否が分かれる作品になっているかと思います。

 

しかしながら、この仕掛けは近年では色々と趣向を変えて様々な作家に書かれているもので、『仮面山荘殺人事件』はその“先駆け”な作品。(文庫版に叙述トリックもので有名な作家・折原一さんの解説が収録されているのですが、「先にやられた!」と、怨み節(?)が綴られておりました。でもだからこそ東野作品で三本指に入る傑作だと思っているらしい)

 

ミステリファンなら予備知識として読んでおくべき、賛否もろとも愉しんでしまえる作品だと思いますので、気になった方は是非。

 

 

 

ではではまた~

『おまえの罪を自白しろ』あらすじ・感想 モデルは”アレ” リアリティのある政争小説!

こんばんは、紫栞です。

今回は、真保裕一さんの『おまえの罪を自白しろ』について感想を少し。

 

おまえの罪を自白しろ (文春文庫 し 35-10)

 

あらすじ

県の公共事業を巡るスキャンダルの渦中にある衆議院議員・宇田清治郎の孫娘が誘拐された。

犯人からの要求は「記者会見を開き、政治家として犯してきたおまえの罪をすべて自白しろ」という前代未聞のもの。

金の要求は一切ないため、受け渡しなどで犯人を捕まえるチャンスも探る手立てもない。孫娘を助けるためには会見を開くしかないのだが、それは宇田清治郎の政治家生命が絶たれることを意味し、果てはもっと大きな混乱を招く危険性も・・・・・・。

 

総理官邸、警察組織、宇田一族・・・様々な思惑が入り乱れ駆け引きが行なわれるなか、新米秘書で清治郎の次男である晄司は幼い姪を救うべく奔走する。

 

 

 

 

 

 

 

リアリティ政争小説

『おまえの罪を自白しろ』は2019年に刊行された長編小説。2023年10月に中島健人さん主演で映画公開予定です。

 

movies.shochiku.co.jp

 

作者の真保裕一さんは映画化されたホワイトアウトアマルフィなどで有名なんじゃないかと思います。

 

 

 

アマルフィ』は映画の脚本が先にあって、原案を元に小説にしたので映画とは別物らしいですけど。

元アニメーターで、劇場版ドラえもんなどの脚本も担当してきたとのこと。私は真保裕一さんの作品で知っていたのは『ホワイトアウト』ぐらいで読むのは今作が初めてだったので、経歴を調べて驚きました。小説作品は社会派サスペンスを多く書いているイメージを持っていたので。

 

今作は大物政治家の孫娘が誘拐され、「今までのすべての罪を自白しろ」と要求されて政治家一家が右往左往する物語。

“公共事業を巡るスキャンダル“のモデルとなっているのは、総理と縁のある人物に特別な便宜を図ったのではないかと数年前に散々騒がれ未だに有耶無耶になっている”あの”政界スキャンダル。

 

あからさまにモデルにしていて、スキャンダル内容も官邸の立ち振る舞いも総理の名前なども分りやすく作者に連想させるものになっています。実世界では近年このスキャンダルを薄れさせるような衝撃的な事件が諸々起きたのでアレですけども・・・。風刺や実際の政界への皮肉を感じさせる社会派な内容で、このモデルも相まって非常にリアリティを感じさせる政争小説となっています。

 

私は政治についてはまったく詳しくないし、正直興味もないといったけしからん日本国民なんですけど、そんな私でも政争をエンタメ的に愉しませてくれるものになっていて、政治ものに苦手意識がある人でも読みやすい作品だと思います。

 

刑事の平尾の視点も多少あるものの、語り手はほぼ宇田晄司

政治家一族の一員であるものの、晄司は政治家の父親に反発心を抱いて長年距離をとっていたので秘書になったのはつい最近。まだ政界に染まりきっていないため、(最初のうちは)読者と比較的近い感覚で政界の駆け引きを目の当たりにして一喜一憂する。

 

誘拐を題材にした作品は多数ありますが、政治家秘書が語り手というのは珍しいですね。通常の家族とは違う政治家一族ならではのやり取りも多く描かれているので、政治家一族を描いた「家族小説」ともなっている作品です。

 

 

 

 

 

 

誘拐サスペンス?

しかし、「誘拐サスペンス」「タイムリミットサスペンス」との謳い文句に釣られて読んだものの、実際は政界での駆け引きがほとんどの「政争小説」だったので、個人的には「思っていたのと違うな・・・」という感想だったのが正直なところ。

 

金銭の受け渡しがなく、「罪を自白しろ」という曖昧な要求のみなので犯人側のリスクが少ないというのがこの誘拐事件の特徴で”前代未聞“とされているのですが、犯人側・誘拐された孫娘の描写が皆無なので緊迫感がさほどない。

 

時間的余裕も結構あるし、孫娘が持病を持っている訳でもないし、電話などで犯人と緊迫したやり取りもしないし。

 

さほど不安が煽られることもなく、「最終的には無事解放されるだろう」と思ってしまうのですよね。冒頭のプロローグこそ不穏ではあるんですけど、読んでいるとストーリー的に必然性がないから殺害はないだろうなって。

 

文庫版に収録されている新保博久さんの解説によると、作者の真保裕一さんはこの誘拐事件のアイディアが「あまりにも素晴らしいアイディア(笑)」と自信があったようですが、正直、動画配信などで「罪の告白をしろ」と脅迫する展開は近年の創作物で多くみられるもので新鮮味はあまりない。今放送中のドラマでもやっているし・・・。

 

メッセージを送るだけで何もしないという犯行のため、本来誘拐サスペンスで描かれるような犯人との対決がないぶん、政界と家族とのやり取りに終始している。

誘拐された孫娘・柚葉を助けるため~と、言っているものの、作中では宇田家の政界での立ち振る舞い、政治家一族としての「家」の存続のために奔走しているところがほとんどなんですよね。

 

政治家一族としては「家」を守るのが大事なのは分りますが、政治家一族に馴染みのない人間には感情移入するのがちょっと難しい。

どうしても保身のために奔走しているように感じてしまって「なんだかなぁ・・・」となってしまう。いや、立場的にそう単純に行動出来ないのは分るんですけどね。

 

気になるのは柚葉の安否で、ぶっちゃけ、宇田家がどうなろうと別に・・・なので。だって、宇田清治郎のスキャンダルは事実なんですもの。

やっぱり事件の接し方は刑事の平尾の方が感情移入出来る。

 

 

それと、犯人から要求されている“罪の自白”についても最初からもうどういったものか分っているので、「一体どんな秘密が!?」と判明する過程を楽しむワクワク感もない。

 

 

「政争」に集点を絞るためにあえて一般的なサスペンス要素を省いているのでしょうが、設定や謳い文句から「誘拐ノンストップサスペンス」を期待して読むと肩透かしを食らうかなと。

 

 

 

 

 

以下、若干のネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

成長物語

読み終わると分るのは、今作は主人公の晄司がこの誘拐事件をきっかけに政治家としての才能を開花させる物語なんだということ。

 

序盤は新米秘書でいかにも頼りなく、「これだから政治は嫌なんだよ」と心中でぼやくだけだったのが、終盤では家族の誰よりも頭が切れ、刑事も総理までもが一目置く存在へと成長する。ホント、最初と最後ではまるで別人なんですよ。

急激な変化のはずですが、書き方が巧みなのか無理を感じないのには感服。誘拐事件の只中だからこそ才能を開花させていく様子はある意味痛快ですね。

 

 

そんな訳で、成長してキレキレの晄司が警察以上の推理力でもって犯人の正体や動機やらを解き明かすのですが、これはちょっと無理がありましたね。限定的な考えに至りすぎだと思う。

 

政治一色の物語だったのに、犯人も犯行動機も政治とはまったく関係ないのは残念。

読者が犯人の正体に気づけるような記述が一切ないので、終盤でいきなりポンと犯人が登場して、主人公がミステリの探偵役ばりにズバズバ真相を言い当てる展開をされても「凄い!」と、感心は出来ませんて。

 

犯行動機にしても、これで誘拐事件を起すのはリスキーだと思う。もっと簡単で直球な方法“移す”を選んだ方が絶対良いですよ。現に最終的にはその行動をしていたし。確実性もないのにデカイ賭けに出過ぎだろう。政治と無関係の一般人なのに。

 

ここまで政争小説として描くならとことん政治絡みで統一すれば良いのにと個人的には思いましたね。

作中で意見の一つとして出て来る推論の方が何やら魅力的。作中では「陰謀論」で片付けられちゃっていましたけど。都市伝説的でワクワクするのに・・・リアリティがなくなってしまうからダメなんですかね?

 

 

成長物語ですが、優秀な政治家というのはただただ清廉潔白な身ではいられない。見方を変えれば晄司はずる賢く、打算や保身に長けた人物に変わってしまったともとれる。単純にハッピーエンドだとは受けとれないラストになっています。

 

善良な部分もあればそうでない部分もあり、綺麗に右と左で分けることは出来ない。これが政治のリアルなのだと知らしめられる作品ですね。

 

 

リアリティのある政争小説に興味のある方は是非。

 

 

 

ではではまた~