夜ふかし閑談

夜更けの無駄話。おもにミステリー中心に小説、漫画、ドラマ、映画などの紹介・感想をお届けします

京極夏彦作品 時系列まとめ 百鬼夜行、巷説百物語、書楼弔堂、ルー=ガルー・・・各シリーズ・本の年表

こんばんは、紫栞です。

今回は、京極夏彦作品の“本”ごとの時系列をまとめたいと思います。

百鬼夜行シリーズ9冊合本版

 

京極夏彦作品は基本的にどの作品も同一世界線で描かれているため、シリーズや出版社の垣根を越えて事象や人物が繋がるように描かれています。

今まで各シリーズの刊行順や時系列などは当ブログでまとめてきましたが、

 

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この数年の間にスピンオフ作品やシリーズ外作品が刊行され、京極作品全体の時系列が何やら複雑に入り組んできましたので、整理するために書き出してみようかと。ま、『鵼の碑』読んだら各シリーズの繋がりを噛み締めたくなったというのが第一にあるのですが・・・。

 

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巷説百物語シリーズ】やスピンオフ作品など、一冊に数編収録されていて舞台の年数が長期にわたっているものもありますが、今回はあくまで「本」ごとに、時系列順で並べていきます。

 

 

※全作品ではなく、現時点で繋がりがハッキリしている本を抜粋。以下、密接に繋がっている作品や登場する人物などネタバレあるので注意下さい。

 

 

 

 

 

年表

 

江戸時代

 

1824年(文政7年)~1826年(文政9年)

●『前巷説百物語』(巷説百物語シリーズ)

“双六売りの又市”から“御行の又市”になるまでの経緯が描かれる。

 

 

1828年(文政11年)

●『嗤う伊右衛門』(江戸怪談シリーズ)

京極版「四谷怪談」。御行の又市が登場する。

 

 

1829年(文政12年)

●『覘き小平次』(江戸怪談シリーズ)

『復讐奇談安積沼』と、これを元にした戯曲『生きてゐる小平次』を題材にした物語。御行の又市と事触れの治平が登場。

 

 

 

18××年 ※正確な年数不明

●『数えずの井戸』(江戸怪談シリーズ)

京極版「皿屋敷」。御行の又市と四玉の徳次郎が登場。

 

 

1836年(天保7年)~1839年(天保10年)

●『巷説百物語』(巷説百物語シリーズ)

●『続巷説百物語』(巷説百物語シリーズ)

※この二冊は同時期での出来事。二冊の各編が時系列上で交互になっている。『続巷説百物語』の最終話「老人の火」だけ1844年(弘化元年)の出来事。

 

1838年(天保9年)~1839年(天保10年)

●『西巷説百物語』(巷説百物語シリーズ)

又市の朋輩である靄船の林蔵による仕掛け仕事が描かれる。関西が舞台。終盤で又市も登場。

 

 

1845年(弘化2年)~1846年(弘化3年)

●『遠巷説百物語』(巷説百物語シリーズ)

長耳の仲蔵による遠野地方での仕掛け仕事が描かれる。“八咫の烏”が登場。

 

 

幕末

●『ヒトごろし』

新選組副長・土方歳三が主役の物語。『ヒトでなし』『今昔百鬼拾遺-鬼』と関係している。

 

 

明治

 

1877年(明治10年)

●『後巷説百物語』(巷説百物語シリーズ)

老人になった山岡百介が、若者たちにかつての又市との体験談を話して聞かせるという構成になっている。過去話は主に1838年~1842年頃のもの。最終話の「風の神」が1877年初夏の出来事で、巷説百物語シリーズ内では時系列の最後で、“本当の終わり”。

 

 

1892年(明治25年)~

●『書楼弔堂 破曉』(書楼弔堂シリーズ)

基本的に、この時代の著名人が弔堂に「探書」で訪れるといった連作短編のシリーズですが、最後に収録されている「未完」中禅寺秋彦の祖父・輔が登場。

1897年(明治30年)~

●『書楼弔堂 炎昼』(書楼弔堂シリーズ)

1902年(明治35年)~

●『書楼弔堂 待宵』(書楼弔堂シリーズ)

 

 

昭和

 

1950年(昭和25年)初夏~1951年(昭和26年)秋

●『今昔続百鬼-雲』

多々良勝五郎と沼上蓮次、二人の“妖怪馬鹿”が様々な事件に遭遇していく物語集。終盤には中禅寺秋彦が登場。三者の親交のきっかけとなった事件も描かれる。

実質、百鬼夜行シリーズのスピンオフ。

 

 

1952年(昭和27年)

7月

●『姑獲鳥の夏』(百鬼夜行シリーズ)

8月~10月

●『魍魎の匣』(百鬼夜行シリーズ)

11月

●『狂骨の夢』(百鬼夜行シリーズ)

1953年(昭和28年)

2月

●『鉄鼠の檻』(百鬼夜行シリーズ)

2月~4月

『格新婦の理』(百鬼夜行シリーズ)

3月~6月

●『塗仏の宴 宴の支度』(百鬼夜行シリーズ)

●『塗仏の宴 宴の始末』(百鬼夜行シリーズ)

※この本は二冊でワンセット。

7月~初冬

●『百器徒然袋-雨』(百鬼夜行シリーズのスピンオフ)

探偵・榎木津礼二郎が主役のスピンオフ。三編収録で、『陰摩羅鬼の瑕』の前~『邪魅の雫』後と、時期がかぶっている。

 

7月

●『陰摩羅鬼の瑕』(百鬼夜行シリーズ)

8月~9月

●『邪魅の雫』(百鬼夜行シリーズ)

初冬~年末

●『百器徒然袋-風』

榎木津が主役のピンオフ第二弾。

1954年(昭和29年)

2月

●『鵼の碑』(百鬼夜行シリーズ)

3月

●『今昔百鬼拾遺 鬼』(百鬼夜行シリーズのスピンオフ)

中禅寺の妹・敦子と、『格新婦の理』に登場した女学生・呉美由紀の二人が主役のスピンオフ。※「鬼」「河童」「天狗」と、文庫がそれぞれ別の出版社で刊行されたが、後に三編全部がまとめられた『今昔百鬼拾遺-月』が刊行されている。

●『今昔百鬼拾遺 河童』(百鬼夜行シリーズのスピンオフ)

多々良勝五郎が登場。

8月~10月

●『今昔百鬼拾遺 天狗』(百鬼夜行シリーズのスピンオフ)

『百器徒然袋-雨』の「鳴釜」に登場した篠宮美弥子がこちらでも登場。

 

 

 

2006年(平成18年)

●『南極(人)』(単行本は『南極(人)』、ノベルス版は『南極(廉)』、文庫版は『南極。』)

八話収録のうちの一編、『こち亀』の30周年コラボ企画で書かれたぬらりひょんの褌」に、老人となった“とある方”が登場している。

 

 

現在

 

●『ヒトでなし 金剛界の章』

 

 

 

未来

 

2030年代

●『ルー=ガルー 忌避すべき狼』(ルー=ガルーシリーズ)

●『ルー=ガルー2 インクブス×スクブス』(ルー=ガルーシリーズ)

 

 

以上。

繋がりがある作品を絵系列順に並べると、今のところはこんな感じ。

 

 

 

 

 

 

備考

大まかな流れは、

 

江戸時代の巷説百物語シリーズ】明治の【書楼弔堂シリーズ】→昭和の百鬼夜行シリーズ】→未来の【ルー=ガルーシリーズ】

 

ですね。

 

間に【江戸怪談シリーズ】『ヒトごろし』、スピンオフシリーズなどがあって複雑化されている。

特に、【巷説百物語シリーズ】は短編集なので各編それぞれ時期が入り組んでいます。【巷説百物語シリーズ】のより事件年表はこちら↓

 

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こうやって時系列でまとめてみると、【百鬼夜行シリーズ】(京極堂シリーズ)はかなり短い頻度で事件が起こっているのだなとよく分りますね。一年の間にどんだけ妙な事件に関わっているんだ。

百鬼夜行シリーズ】は上記した作品の他に、『姑獲鳥の夏』~『鵼の碑』までの事件関係者のサイドストーリー集百鬼夜行-陰』『百鬼夜行-陽』があり、

 

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繋がりを楽しむにはこの二冊も欠かせないものとなっています。重要。

 

特に、『ルー=ガルー 忌避すべき狼』は、必ず『百鬼夜行-陰』の「鬼一口」を読んでからで。

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やはり見落としがちなのは『南極』に収録されているぬらりひょんの褌」ですかね。京極夏彦ファンは度肝を抜かれること必至なので、絶対に読んで欲しいところですが。

 

 

この本は丸々コメディに特化したギャグ小説集で、前作に同じ趣向で書かれた『どすこい(仮)』(単行本は『どすこい(仮)』、ノベルス版は『どすこい(安)』、文庫版は『どすこい。』)があり、そこに収録されている「すべてがデブになる」の登場キャラクターたちがもんだするのが主な内容。なので、『南極』を読むなら『どすこい』も読むべきではある。

 

 

京極夏彦のオススメ本では絶対に最初には選ばれない二冊ですが、京極世界にどっぷり浸かったマニアには必見の書なので是非。

 

 

巷説百物語シリーズ】の完結作、【書楼弔堂シリーズ】の完結作、【百鬼夜行シリーズ】の次作と、今後も年表の間を埋めるような作品が予定されているらしいので、その都度更新していきたいと思います。

 

刊行順に読んだ後で時系列が気になった方は是非。

 

ではではまた~

 

 

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『沈黙のパレード』映画 ネタバレ・感想 クズ、おかしい、わからない・・・諸々解説

こんばんは、紫栞です。

今回は、映画『沈黙のパレード』を観たので、感想を少し。

 

沈黙のパレード

 

こちら、2022年に公開された映画。2007年からフジテレビで制作されているガリレオシリーズ】

 

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このシリーズは今までにテレビシリーズが二期、スペシャルドラマ、映画と、何本も制作されている人気シリーズなのですが、今作は劇場版3本目。前作真夏の方程式から9年ぶりの新作ですね。

 

このシリーズ、原作も『禁断の魔術』

 

で湯川先生がニューヨーク行ってしまい、いったんストップしていたので、久しぶりの新作だったんですよね。

もう書かないのかなぁーと思っていたところでの唐突な長編発表だったので、映像化計画ありきでの新作かなとか発売当初勘ぐったものです。東野圭吾作品はそういうの多そう・・・。

 

案の定映画化された訳ですが、原作小説発売から4年ほど経っての映画化だったので、思っていたよりは遅かったなと。 

 

 

 

草薙

原作は湯川と草薙が主要人物、途中から内海が登場して~という流れですが、ドラマは男女コンビもので新作の度に女性刑事さんが代わりつつ続いていました。原作の読者からすると、別に草薙だけでいいよなんですけどね・・・。 

 

ちょい役でなく、内海(柴咲コウ)がちゃんと参入するのはドラマ一期ぶりで懐かしい。原作ですとキャラクターの年齢や職場での立場が変化し、時間経過を感じさせる描写が多かったので“お久しぶりです感”が強かったのですが、映画の方はそこら辺サラッとしていますね。内海が捜査一課に戻って草薙の部下になっていますが、それについての説明も全然ありませんし。

 

映画公開前に放送されたスペシャルドラマ『禁断の魔術』では、原作同様にラストで湯川先生(福山雅治)がニューヨークに旅立っていましたが、その後何年経ったとかもよく解らない。原作とは対照的に時間経過をあまり感じさせたくないのかなぁという気がする。「みんな知っているでしょ?」って具合に、主要三人についての説明もありませんしね。

 

久しぶりの内海ではありますが、観てみると今作は内海の印象は薄め。草薙(北村一輝)の葛藤や苦悩が前面に出されている内容で、見方によっては草薙が主役ともいえる。

 

原作は草薙が視点の中心になっているのがほとんどなので、本来のシリーズの在り方に近いですね。テレビシリーズの時は草薙ほとんど出てくれなかったので、原作ファンは嬉しいのではないでしょうか。ドラマファン的には内海の活躍に物足りなさを感じるかも。

 

しかし草薙、容疑者の写真見て吐くほど嫌悪しているのなら捜査無理なんじゃ。上の人たちもコイツは捜査からはずそうってならんかね。その後普通に取り調べしているし、不自然ですよ。事件への悔いの想いを表現しようとしたんでしょうが、あの演出はやりすぎだと思う。

北村さんの演技は見事で、作品のアラを諸々誤魔化してくれていますけどね。

 

 

事件関係者のキャストは皆、原作のイメージよりちょっと微妙に違う感じ。でも思い起こせばこのシリーズ、イメージ通りのキャスティングはいつもない気がするので、あえてそうしているのかも。

 

 

 

 

以下ネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

説明不足

あらすじはほぼ原作の通りなので詳細はこちらで確認して欲しいのですが↓

 

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今作の事件、トリックらしいトリックがないのですよね。物理もほぼ関係なく、何で湯川に相談するのかもいまいちわからない。

なので、ミステリとしての見せ場は町の人たちの描写とラストのどんでん返し。そこの部分にかかっている訳ですが、原作では町の人たちによる複数での犯罪計画を倒叙的にみせる構成になっていたものが、実質カット。

被害者の女の子についての回想が度々入るのみで、遺族はじめ事件関係者の人物背景がさほど描かれず、具体的に犯罪計画を進行している描写がない。単純に疑わしい人たちってだけで、「複数人による復讐劇」という物語の“見せかけ”があまり成立してないのですよね。

 

ミステリとしてもですが、情報が少なくって感情移入が出来ないので、人間ドラマとしてもハンパな仕上がり。

 

 

そもそも、事件概要もあまり詳しく説明されていない。15年前の優奈ちゃん殺害事件については全くといっていいほど説明がなく、女児が殺されたことしかわからない佐織(川床明日香)と一緒に発見された蓮沼(村上淳)の母親の遺体についてもまったく触れていない。

こんな情報量で、状況証拠も物的証拠もあるのに、黙秘を貫いて無罪になったって言われても、到底納得しかねる。優奈ちゃん殺害事件は本当に蓮沼がやったことなのかどうかも解らず、観ていて困惑する人も多いことでしょう。ま、優奈ちゃん殺害事件に関しては蓮沼が間違いなく犯人だということでいいと思いますが。

 

終盤のどんでん返しにしても、湯川が犯人に行着くプロセスが曖昧なんですよね。なぜ犯人がわかったのか、推理モノなら最重要であろう部分が不透明。おそらく、新倉先生(椎名桔平)が庇う相手が他にいないからってことなのでしょうが・・・。

 

このどんでん返しの最大の問題点は、湯川が最初に言った「蓮沼には絶対に自分は逮捕されない確信があった。なぜなら真犯人を知っているから」という言葉を、湯川自身が導き出す真相によって覆してしまうところにあります。

 

だって、結局佐織を殺したのが蓮沼だってことなら、逮捕されない確信なんて持てるはずがないですからね。先に言った言葉と大きく矛盾してしまっている。

蓮沼の計画はあまりにも無謀で不自然すぎる。「被害者の血がついた服を持っているのがメッセージ」って・・・いや、単純に自分が殺した証拠ってだけじゃん。後生大事に持ってたの、馬鹿みたいじゃない?意味不明だよ。

 

と、ミステリとしておかしな部分が多々あるのですが、どんでん返しなどの問題点に関しては概ね原作通り。

原作自体が問題のある出来といってしまえばそれまでなのですが、この映画では原作の問題点を解消することなく、むしろ全体的に説明不足にして原作よりいっそう不可解で疑問ばかり残るものに仕上げてしまっている。

ミステリ小説の映像化の利点は「わかりやすくなるところ」のはずが、この作品は真逆を行ってしまった感。上手く詳細を変更して、原作小説の欠点を補って欲しいと映画には期待していたのですが・・・残念です。

 

 

 

 

 

 

 

 

クズ

原作も同様なのですが、この物語、真相を知った後だと被害者の佐織への悪感情ばかりが印象に残る。「佐織、クズじゃん」と思った人は、それはそれは多いことでしょう。

しかしながら、映画ではまだ申し訳なさそうな態度をとっているぶん、原作よりマシなのですよ。「あれ?原作だともっと腹立つ感じだったよね?」と思って、原作を読み返したらやっぱり凄いムカついた。

原作だともっと不貞不貞しくって煽っているような態度で・・・もう、もう・・・なんだ、コイツ・・・!なんですよ。

佐織のクズっぷりが気になる方、是非原作を。

 

 

原作とは違い、彼氏(岡山天音)が結婚したいと言っていないですね。原作だと歌手になるって時に結婚したいと言って、あげく孕ませて、これまた「なんだコイツ」なのですが、映画だと彼氏が結婚のことまったく頭にないから、勝手に結婚すること決めている沙織に違和感ある。

でもやっぱり、計画について真っ先に口を割る彼氏は原作同様に腹が立つ。

原作終盤での佐織の両親と彼氏が話す場面、映画ではカットされていますけど、個人的にはあそこもムカツク場面だったのでカットされて良かった。

 

新倉の奥さんの留美(檀れい)ですが、嫉妬心で激昂したというように変更されていましたね。原作だと、嫉妬心よりも沙織のプロデュースに音楽家として全身全霊を懸けている夫のことを想っての感情が強くて・・・だったので、この変更は何だか厭でした。

 

この夫婦も、被害者遺族も、その被害者遺族の友達も、増村も、上記したようにこの映画だと描写が不足しているので感情移入出来ないのですが。小説だと各人物の視点が描かれているのでまだわかるのですけどね。

佐織の妹(川口夏希)とか、原作では出番の多い立ち回りだったのですけど、映画だとほぼ空気だった。

 

 

 

友情

原作だと祐太郎と戸島、湯川と草薙、二つの友情関係が相対的に描かれています。原作の湯川と草薙は二人で飲みに言ったりしていてもっと普通の友達感あります。湯川先生がわざわざ店の常連になったのも、草薙の力になりたいと思ったからなのですよね。映画でも「親友」と湯川の口からハッキリ言っているのが聞きたかったな。

 

 

諸々気になるところはありますが、湯川と草薙の友情関係がクローズアップされているだけでもファンは観る価値あると思います。

 

配信もされていますし、気になった方は是非。

 

 

 

 

ではではまた~

 

 

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『死ねばいいのに』京極夏彦 ネタバレ・解説 ひどいタイトル!その真意とは?

こんばんは、紫栞です。

今回は、京極夏彦さんの『死ねばいいのに』をご紹介。

 

死ねばいいのに (講談社文庫)

 

タイトル

『死ねばいいのに』は2010年に刊行された長編小説。インパクト大のタイトルでして、作者の京極さんも「ひどいタイトル」と当時のインタビューで仰っております。このタイトルのせいで当時新聞広告を断られたというのがちょっとした有名エピソード。確かに、新聞にデカデカと「死ねばいいのに」と広告が出ていたら問題かもしれない。

しかしながら、これは暴言や悪態で発せられる意味合いとは異なります。読めばただ関心を惹くために付けられたタイトルではないことが解るし、この言葉を深く考えさせられることとなる。

 

あらすじは、若い無礼な男が、「死んだアサミという女のことを教えてくれ」と、生前にアサミと関係のあった人たちのところを尋ね回るといったもの。

 

分類が難しいところでして、強いていうなら哲学的内容ってなるのでしょうが、ミステリ要素もあってエンタメ的面白さも充分に兼ね備えています。京極さんは〈通俗娯楽小説家〉ですからね。

 

 

 

京極さんは主にボリュームのあるシリーズ作品で知られている作家ですが、

 

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今作はノンシリーズものでページ数も400ページほど。京極さんがいつも仕掛ける他作との繋がりなども特にありません。(今のところですが・・・)

 

京極作品の中では少なくとも、400ページなら結構な長さじゃないかと思われるかもしれないですが、この小説は各章一対一の会話劇形式で構成されている物語でして、会話が主でウンチクなどもないし、話もシンプル、リズムの良い文章と展開でドンドン読ませてくれる、”読まされてしまう”、一気読必至の一冊となっております。

 

個人的に大好きな一冊なものの、今まで紹介できてなかったのですが、2024年1月に舞台化決定と知りまして、これを機会にちゃんと紹介したいなと。

 

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対話で構成されている物語なので、非常に舞台向きの作品だと思います。役者さんの演技がつくとより言葉の応酬に魅力が増しそう。

 

 

文庫版は毎度お馴染みの荒井良さんの張り子人形の表紙ですが、

 

 

ハードカバーですとタイトルが際立つ高級感ある装丁(この画像だと分りにくいですが・・・)。凄く小さいんですけど、山本タカトさんのイラストも良い。前は公式サイトで大きい画を見られたのですがね。私はこのハードカバー版の装丁がとても好きです。

 

 

 

 

 

以下ネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

六人の困った人たち

物語は全六章。

目次が、

一人目。

二人目。

三人目。

四人目。

五人目。

六人目。

 

と、なっていまして、何やら目次だけで妙に興奮する。京極さん曰、「六道」を表しているとのこと。

 

目次の通りに、無礼な若者・ケンヤが対話していきます。アサミの派遣先の上司、隣人、彼氏、母親、刑事、弁護士と、それぞれ年齢も立場もバラバラの人たちと話をしていく。

 

皆、ケンヤに「アサミのこと教えてくれ」って尋ねられて答えようとするんですけど、無意識に自分のことばかりベラベラ話し出す。

「自分は正当な評価をされていない」「周りが悪い」「運がない」「何で自分ばっかりこんな目に」「辛い」「悲しい」「堪えられない」と、いった具合に。不満だ不満だと。

 

しかし皆、ケンヤと話すうちにものの見事に化けの皮がはがされていく。嘘を暴かれ、醜態をさらして、業の深さをさらけ出す。

痛いところをことごとく指摘されて「どうしようもないんだ!」と想いを爆発させる者達に、ケンヤは「死ねばいいのに」と言い放つ。

 

 

「(略)どうにも出来ねーどうにも出来ねーって。そんなことそうある訳ねーって。必ずどうにかなるのに、どうもしないだけだって」

しない?

「厭なら辞めりゃいいじゃん。辞めたくねーなら変えりゃいいじゃん。変わらねーなら妥協しろよ。妥協したくねーなら戦えよ。何だって出来るじゃん。何もしたくねーなら引き籠もったっていいじゃん」

 

 

確かに、世の中どうにも出来ないことなんて実はそうそうない。ただ「しない」だけ。

何でしないのかというと、見栄や欲や面倒だという想いが邪魔をするから。

 

そんなこと、誰でも本当は了解している。どうでも出来ることが解っているのに、それでも人間って不平不満を言っちゃうものなんですよね。だからケンヤの言葉は多くの読者にとってもグサグサと突き刺さるものです。

 

もちろん、本当に窮地に追いやられていてどうも出来ないという立場の人もいるでしょうが、今作に出て来る人々は皆“なんとでもなる”人たち。なのに、皆、自分が世界一不幸だみたいな物言いをする。アサミのことを尋ねているのに見当違いなことをグチグチ聞かされて、ケンヤは毎度キレる。

 

 

「本気でどうにも出来なくって、それで我慢も出来ねーってなら、本気死ぬしかねーって話じゃんか。死にたくねーなら我慢しろよ。どっちかだろうよ」

 

 

「死ねばいいのに」と、究極的に強い言葉を投げかけられて、六人の困った人たちは己の人生と行いを振り返り、ひた隠しにしていた本質や願望を思い知らされ、突き付けられる。

そして最終的に、アサミの死に対して本気で悔いて悲しむことが出来るようになる。

 

滅茶苦茶に言い負かされてボロボロにされたかと思いきや、最後には妙な具合に救済されている。「言葉」を操る京極マジックが今作でも炸裂しております。

 

私は特に「四人目。」の母親との対話が好き。こっちが思っていることをすべて言ってくれる感じが爽快。「子供らしくないのは親のアンタが子供扱いしないから」「不満がなくせると思っているうちは、不満は絶対なくならない」など、どのセリフもそうだよなぁと。「三人目。」の佐久間さんはあまりに不器用でやるせなくなりますね。

各章、「どうなのよ」って面々なのですが、どの人物も“完全な悪人”という訳ではないのもこの本の要となっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

ケンヤ(渡来健也)

今作で最も特徴的な点は、相手を強い言葉で諭していく人物が無職で学もなく、無礼な若者であるケンヤであるところ。しゃべり方も上記のような有様ですしね。

時代小説の印象が強い京極さんですが、若者言葉の描き方も巧みで、まずはそこに驚く読者も多いのではないかと思う。

 

尋ねてくるのが社会的地位、肩書き、学歴、品行方正といった立派で模範的な人物であるならば、どの人物も引け目を感じてこんな風に自分語りをしたりはしないでしょう。後ろ暗いところがあるなら余計に。

ケンヤのような社会から落伍したような、態度が悪くて褒められたところがない、“自分の方がコイツより強気に出られる立場にある”と思わせる人物だからこそ、相手は自己正当化した身勝手な愚痴をペラペラ話す。

今作に登場する人物たちは皆、話すことに飢えているのですよね。それで見るからに“どうでもいい人物”であるケンヤに普段は言えない鬱憤をまき散らす。

 

そんな風に舐めてかかっていた人物に言い負かされ、醜い部分を暴かれてしまう。立場が逆転する様は各章とても読み応えがあって面白い。

ケンヤの言葉は間違いなく暴言ですが、ことごとく“ごもっとも”。何やら向かっ腹が立つ人物たちに対し、ケンヤの「おっしゃる通りな暴言」がとても痛快なんです。

 

 

しかし、その痛快さだけでこの物語は終わらない。お話が展開されていく中で、不可解な事実が明らかとなる。

 

 

 

 

 

アサミ(鹿島亜佐美)

ケンヤが「教えてくれ」と尋ね回る死人のアサミは、終始伝聞でしか語られない。

明らかになっていくのは、殺害されたこと、職場の中年男性にとって都合の良い浮気相手だったこと、隣人に嫉妬されて嫌がらせを受けていたこと、母親に借金の形としてヤクザに二十万で売られたこと等々・・・・・・。

 

作中の誰よりも不遇で理不尽な目に遭っているのですが、アサミは不平不満を一切口にしない女性だったという。それどころか、「とても幸せだ」とケンヤに言っていたと。

 

最終章の「六人目」は、弁護士のことと見せかけて実はアサミのこと。

辛くて、悲しくって、馬鹿で、ダメダメで――と、いった“人間らしい人間”が五章目まで描かれるぶん、アサミのこの態度と様子は「人」として、得体の知れない、実感の湧かないものとなっている。

不気味で、もはや「怖い」存在と思える。

 

生き物にとって、「死」は絶対的な恐怖です。生き物なんですから。「死ね」と言われれば嫌がるのが人として、生き物としてあるべき姿です。

 

もし、本気の本気で死ぬのを嫌がらないのだとしたら――それはもう、「人」ではないのではないか。

 

人間は時に自ら死を望んでしまうものですが、その状態というのは「人」として逸脱してしまっているのでは。

ケンヤは、アサミが「人」だったことを確認したくって尋ね回っていた。今作は「人でなし」に関わる一物語。

2015年に刊行された『ヒトでなし 金剛界の章』の前身的作品ともいえると思います。

 

今作が気に入った方は、『ヒトでなし』『ヒトごろし』と読み進めて、京極夏彦の“人でなしワールド”を堪能していただきたく。

 

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私は立場がケンヤの方に近いので言い負かす部分はとにかく痛快だったし、この真相も感慨深かったですが、ケンヤのしゃべり口調が受け付けない、作中人物たち同様に「そう簡単じゃないんだよ!」と反感を抱く方もいるでしょうから、人によって好みがハッキリ分かれる本だとは思います。

でも、序盤で止めてしまわずに、是非、是非、最後まで読み切って欲しいなと、切に願います。シリーズものじゃないからと取りこぼしている京極ファンも是非。

 

ではではまた~

 

 

 

 

『ブラック・ジャック』どの本を買う・揃えるのが良いのか検証 注意するべき点とは?

こんばんは、紫栞です。

今回は、手塚治虫大先生の代表的漫画作品ブラック・ジャック』を、買い揃えるならどの版の本を買えばいいのかをまとめたいと思います。

ブラック・ジャック 手塚治虫文庫全集(1)

 

手塚治虫作品ランキング、医療漫画ランキングなどで度々人気1位になる『ブラック・ジャック』。私もやっぱり、手塚治虫作品ならどれが1番好きかといったら『ブラック・ジャック』なんですけども、実はファンとして心残りを抱えたまま今日まで至っているの点が。

 

ブラック・ジャック』は今年で連載50周年。この長い年月の間、幾度も再注目されて話題になるという、音楽でいうリバイバルヒットみたいなことを繰り返している訳ですが、私の中で一番印象に残っているヒット時期は、秋田文庫版が発売された時。

 

 

この秋田文庫版、大人向けの装丁が受けたものか出版社の予想を上回る大ヒットをしまして。これをきっかけに、漫画コミックスを文庫化するブームが訪れました。今でこそ定番化していますけど、漫画を文庫で刊行って、それ以前はあまりないことだったのですよ(たぶん・・・)

 

秋田文庫版は全17巻で231話収録。一部カラーページあり。扉絵はなしで、巻末には色々な著名人の解説が収録されています。

 

 

別巻の『Treasure book』には漫画解説の他に文庫版未収録である「二人のジャン」「壁」「落下物」の3話が収録されているそうな。

 

 

この別巻、私ただの解説本だと思って買っていませんでした・・・。事情があって収録されるのはレアなお話のようで。とりあえず、この本買いたいと思います(^_^;)。

 

幼少期の時の秋田文庫版ヒットが強く記憶に残っており、本屋でもよく出回っていたので、長じてから全巻買おうとなった際に特に深く考えずにこの版で揃えてしまったんですが・・・ま、ちょっと後悔していますね。

 

 

それというのも、この秋田文庫版、雑誌掲載順に収録されていないのですよ。どういった基準で選んでいるのか、てんでバラバラに収録されている。ストーリーはもちろん、『ブラック・ジャック』はおよそ10年連載されていたので絵柄の変化が結構あり、読んでいてかなり違和感があります。

連作短編なので各話の素晴らしさは変わらないのですが、困るのが特定の物語を再読しようとするときに探すのがとても面倒なところ。雑誌掲載順なら記憶しやすいし絵柄から大まかに当たりをつけることが出来るハズ!

いやそもそも、連載モノってのは掲載順に読むのが正しいし絶対に良いハズ!と、思っているんです。私は。

 

だから掲載順に読めていないことにファンとして負い目があるんですよ。

その負い目をほったらかしでここまで来たんですけど、連載50周年だし、地方で展示会に行けないのも悔しいし、別の版で揃えなおそうかなぁ・・・・・・と、思って調べたんですが、いろんな版があるんですよ、コレが。『シャーロック・ホームズ』の翻訳本なみにいっぱいある。

 

版をかえて出す度に売れるからでしょうが、『ブラック・ジャック』の場合(と、いうか、手塚治虫作品の場合)、改稿や未収録話が多数あるので、版によって内容が一々異なる。

なので、今手に入れやすいもので初心者(?)が揃えるならどの版がいいか調べた結果をまとめていきたいと思います。※マニア向けの豪華版などは除外します。

 

 

 

 

 

 

 

 

ブラック・ジャック』が週刊少年チャンピオンに掲載した話数は全243話これをふまえて順番に紹介していきます。

 

 

秋田書店 チャンピオン・コミックス(旧版)

 

全25巻で、収録話数は234話。

連載当初に出版されていたコミックスで、基本となるもの。当たり前ですけど、コミックスの刊行時に手塚治虫がまだ存命だったので、収録内容には作者本人が関わっている。

じゃあコレ買っときゃ良いじゃん!と、なるところですけども・・・今の漫画コミックスでは一般的にないことですが、作者がお気に入りのお話などから優先的に選んで収録していたため、雑誌連載順にはなっていないとのこと。何だよ~も~ですね。

でも収録話数は一番多いし、大元ですので、掲載順が気にならない人には一番良いのではないかと思います。

 

 

 

秋田書店 新装版 チャンピオン・コミックス

 

 

全17巻。231話収録。

こちら、上記した秋田書店文庫版を連載順に再編集したもの。文庫版だとカットされていた扉絵も収録されているのだとか。

文庫版でファンが感じる不満点を改善したよって感じの版ですね。じゃあ私はコレを買えば良いのだろうか。

新書サイズなので文庫より大きな画で読めるのも特徴。手塚治虫は漫画を文庫サイズで読ませるのに反対だったらしいので、作者の意向にも沿える版ですね。

 

 

 

手塚治虫全集

 

 

全22巻。収録話数は219話。

出版社が手塚プロダクションになっているし、“全集”となっているし、電子書籍で検索すると多く引っかかるので一番気軽に買ってしまいがちなんだろうなぁと思いますが、これは罠です。

収録話数が他と比べて極端に少ないので。大体読めれば良いというアバウトでライトな心持ちの人以外はさほど旨みがない版。買うときは要注意。

 

 

 

手塚治虫漫画文庫全集

 

 

全12巻。収録話数232話。

手塚治虫作品では毎度お馴染みの漫画文庫全集。今まで当ブログでは他にも手塚治虫作品を紹介してきており、その度に今読むならどの版が良いかと書いてきているのですが、結局いつも講談社から刊行している漫画文庫全集が一番良いのでは?って答えにいきつく。

ブラック・ジャック』でもまた然りのようです。

 

ネットでも一番オススメされていたのは漫画文庫全集ですね。収録話数も多いし(と、言っても、新装版チャンピオン・コミックスとは1話しか違いはないのですが)、それでいて巻数が12巻と少なくって集めやすく、雑誌連載順で、扉絵も収録されている。

 

 

 

 

 

 

 

原作漫画至上主義

入手しやすく、初心者でも手が出しやすいのは大体こんなものですかね。

 

秋田文庫版で後悔している私は、新装版チャンピオン・コミックスで揃えなおし、プラスして秋田文庫から出ている『Treasure book』を買うのが順当でしょうか。

 

 

 

 

それとも巻数が少なくって集めやすい手塚治虫漫画全集版を買うか。

 

 

ま、もう少し悩んでから決めたいと思います。

 

未収録話についてはまたややこしいことになっているので、ひとまずどれかの版で集め、漏れているものは別版を買い足す、豪華版・マニア向けに本に手を出すと。なんか、いつまで経っても完全には極められそうにないですね・・・。なんて厄介な作品なのでしょう。

 

 

原作漫画を読むのも面倒くさいから、アニメ観てすまそうという人もいるかもしれないですが、

 

 

ブラック・ジャック』に関しては「原作を知りたい」という理由でのアニメ鑑賞はオススメしません。

OVAはお話を混ぜて膨らませたものでほぼオリジナルですし(私はコレはコレで好きですが)、夕方に放送していたテレビアニメシリーズはおおむね原作に忠実なものの、ラストで死亡したキャラクターが軒並み生存する結末に改変されています。

 

子供がショックを受けないようにという配慮なのかもしれませんが、それだと本来の物語の意図が変わってしまうし、とにかく何でも治してくれるスーパードクターという安易で陳腐なイメージが作品についてしまうので(意外とそんな風なお気楽な話だと思っている人が多くて嘆かわしい)、個人的にテレビアニメシリーズは改悪だと思っています。原作でも死亡者が出ないお話はそのままで良いのですが・・・。

 

アニメしか観ていない人には絶対に原作漫画を読んで欲しいと声を大にして言いたいですね。

 

 

何はともあれ、まずは原作。できるだけ多くの方に原作漫画を読んで欲しいと常々思っておりますので、買う際に参考にしていただくと嬉しいです。

 

 

 

ではではまた~

 

 

 

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『ほねがらみ』あらすじ・感想 怖い!“あの”物部も苦戦した怪異とは

こんばんは、紫栞です。

今回は、芦花公園さんの『ほねがらみ』を読んだので感想を少し。

ほねがらみ (幻冬舎文庫)

 

『ほねがらみ』は2021年に刊行されたホラー長編小説。2020年にWeb小説サイトカクヨムにて発表された「ほねがらみ――某所怪談レポート」がネットでバズり、それを改題して書籍化したもの。芦花公園さんの商業作家デビュー作です。

 

夏に芦花公園さんの【佐々木事務所シリーズ】を夏にまとめて読んだのですけど↓

 

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【佐々木事務所シリーズ】と『ほねがらみ』とは、物語の形式は異なるものの、共通したキャラクターが出てきていて繋がりがあるとのことで、今作も流れで読んでみました。

本当はこの本も夏のうちに読みたかったのですが、ずれこんでスッカリ涼しい季節になってしまった。

繋がっているのは、祓い屋の物部さんと、佐々木るみと青山幸喜にとっての大学時代のゼミの教授・斎藤晴彦が登場しているところ。今作を読むと、物部さんが車椅子生活になった経緯を知ることが出来ます。

 

芦花公園さんは2018年から〈カクヨム〉での投稿を続けていて、書籍化されていないお話にも物部さんやるみがちょこちょこ登場したりしているようです。

 

kakuyomu.jp

 

それとどうやら、単行本刊行当初はパクリ騒動で一悶着あったようですね。

 

note.com

 

私が買ったのは文庫版なので、問題の箇所は修正されているようですが。単行本の方なら確認が出来るのかしら。

 

 

 

 

あらすじは、

オカルト好きで大学病院勤務の男性医師「私」が、趣味の怪談収集をするうちに共通項に気がつき、繋がりをたどっていくというストーリー。

 

「今回ここに書き起こしたものには、全て奇妙な符合が見られる」「私は、読者の皆さんとこの面白い感覚を共有したいのである」ってことで、時期も体験者も違う各怪談話の符合から地域の特定諸々を考察してルーツを探っていこうという“テイ”で書かれた、モキュメンタリーホラー小説。

 

ホラーだとルポ風、実録もの風に描く作品が多いですね。

 

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やっぱり「実話ですよ」という演出は直接的な怖さがありますからね。『リング』などに代表されるような拡散・感染系ホラーは特に。

 

 

洒落怖掲示板で繰り広げられるような盛り上がりを紙の本でやりたいという趣向ですと「私」による前説で書かれています。

洒落怖のまとめ動画などが好きな私としては、怪談話が紹介されて、その都度「私」による考察が入るという構成は面白かったです。

時代がバラバラで人物など読んでいても結構こんがらがるので、合間合間に情報を整理してくれる考察は非常に有り難く感じられる。コレがないと読み進めるのがちょっと厳しいですね。

 

 

「私」がルーツを探っていくうち、周囲で異変が起こり、第三者だったはずが怪談の当事者となってしまうという流れ。安易な気持ちで調べると恐ろしい目に遭う、“知ること”こそが禁忌という、ホラーの定石ですね。

 

 

 

 

 

 

 

怪談話の断片から地域を特定し、「家系」を特定し、謎を追求していく訳で、そこがミステリのように面白いのですが、最後は解明放棄状態になってしまうのでどうも釈然としない。鳥海さんとか、終盤でいきなり登場してきて思わせぶりな描写してそのままだし。他にも投げっぱなしで説明していない部分が多いし。

一応「■■■■■んよね」に入ると思われる言葉、「骨がらみ」の意味などは示されているのですが、あまり感慨が湧かないというか、「ふ~ん」って感じで終わってしまう。謎解きの爽快感や解った時に立ち上る恐怖がないんですよね。

 

ホラーとは全部解明されると怖くなくなるもの。だからあえて謎を投げっぱなしにしていかようにも考察出来るようにしているのでしょうが、中盤までミステリ色が強いのでこの締め方は無責任だって風に思ってしまう。

 

 

後、個人的にどうかと思うのは、モキュメンタリーとしての描き方が崩壊し、途中からほとんど一人称での小説になってしまうところ。

 

フェイク・ドキュメンタリーとして書いているなら、最後まで貫いて欲しい。

折角の空気感が壊れるといいますか。小説として書かれた方が、臨場感があって怖いという人もいるでしょうが、私的にはいきなり創作感を強くされると怖さも半減する。洒落怖スレもそうでしょ?

 

 

とはいえ、やはり十分に怖いは怖いです。真夜中に暗い部屋で読みたくはないなぁと。直球のホラー小説ですね。

怒濤の「ズ」攻撃は最初のページめくった瞬間はビビったものの、あまりにページを割いているので「いや、長ぇな!」と、思わず笑ってしまいましたが(^_^;)。

 

日本の因習にキリスト教が絡むのは『異端の祝祭』と共通している。

 

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この題材がお好きなようですね。

【佐々木事務所シリーズ】でも思いましたが、この作家さんは不快感を与える気持ち悪い人物の描写が上手い。作中にもありますが、もはや怪異より怖いです。

 

 

ミステリとしては釈然としない物語ですが、洒落怖っぽいものが好きな人、ゾッとしたい人にはオススメの一冊です。気になった方は是非。

 

 

ではではまた~

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』よくわからない?予備知識で面白さ倍増映画!

こんばんは、紫栞です。

今回は、映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』について少し。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

 

こちら、2019年に公開されたクエンティン・タランティーノ監督作品。レオナルド・ディカプリオブラッド・ピットの初共演作品です。

90年代の終わり頃を代表するハリウッドの二枚目俳優のお二人。日本でも「レオ様派」「ブラピ派」と大いに騒がれていた時代を知っている人間としては、このお二方が映画で共演しているだけで胸熱。最初に映画情報を知った時は「すごーい!!」ってなりましたね。

 

キャストもですが、題材にしているものに興味もあったのでずっと観たいと思いつつも観られていなかったのですが、この度やっとこさ観られたので感想と解説をしたいなと。

 

 

第77回ゴールデングローブ賞で、作品賞(ミュージカル・コメディ部門)、脚本賞助演男優賞を獲得。第92回アカデミー賞でも助演男優賞美術賞を獲得していて、非常に評価の高い作品なのですが、日本ではいまいち知名度が低め。

 

公開期間や本数も関係しているのでしょうが、私が思うに、一番の原因は今作が日本では馴染みのない事件を題材に扱っているからだと思います。アメリカやイギリスでは常識的に知られている超有名な事件なのですが、その事件を知らない人がこの映画を観るとチンプンカンプンで「よくわからない」ということになる。予備知識が必要な映画なのですね。

コメディなので知らなくても楽しめるは楽しめるのですが、題材になっている事件内容を知っておくと何倍も面白くなる映画です。

 

 

あらすじ

俳優のリック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)と、リックの専属スタントマンで親友のクリフ・ブース(ブラッド・ピット)。

かつてはテレビの西部劇で活躍し、ロサンゼルスの豪邸に住まうリックだったが、ピークを過ぎ、時代に取り残されて今や落ち目の俳優に。必然的にクリフもスタントの仕事が出来ず、嘆くリックを励ましながら世話係と雑用をこなす日々を送っていた。

そんな最中、隣に新進気鋭の映画監督ロマン・ポランスキー(ラファエル・ザビエルチャ)と妻で女優のシャロン・テート(マーゴット・ロビー)が引っ越してくる。自分とは対照的に華やかで将来有望な夫妻を目の当たりにし、リックは乗り気ではなかったイタリアでのマカロニ・ウエスタン映画出演を決意するが――。

 

 

 

 

 

 

 

 

物語の舞台は1969年のハリウッド。今作の背景にあるのは1969年に実際に起こったシャロン・テート事件」です。

 

 

シャロン・テート事件とは

シャロン・テートは1969年8月9日にロサンゼルスの自宅で夫であるポランスキーの留守中、3人組の男女に襲撃されて友人達と共に惨殺されました。シャロンは当時26歳で妊娠8か月。仕事も私生活も順風満帆だった中での突然の悲劇でした。

 

犯人の3人組はチャールズ・マンソンの信奉者達である「マンソン・ファミリー」のメンバー。チャールズ・マンソンはヒッピー達を集めてコミューンを築き、カルト指導者として様々な犯罪行為をさせていました。

この家の襲撃もマンソンが命じたもので、ポランスキー夫婦の前にこの家に住んでいた人物への当てつけ、憂さ晴し的凶行であり、シャロンも友人達も全く接点がないにも関わらず殺されたというあまりに酷い犯行内容。

 

事件はセンセーションを巻き起こし、チャールズ・マンソンという名はシリアルキラーとして広く知られるように。

海外ドラマシリーズの『クリミナル・マインド』でよく出て来る名前の一つですね。私もそれで知っていたんですけど。

 

 

この映画ではマンソンと“ファミリー”であるヒッピー達、実行犯の3人組も実際の事件のままに登場しています。シャロンポランスキー、その友人達も実名で登場。

 

 

ですが主の二人、リックとクリフは実在しない架空の人物。(※モデルにした人物はいたらしく、リックはバート・レイノルズ、クリフは彼のスタントマンだったハル・ニーダムとのこと)

事件を背景にはしていますが、この映画はあくまでリックとクリフを中心として展開されています。ポランスキー夫妻とは車ですれ違いざまに見かけるのみで、家が隣同士なものの、リックたちと夫妻とは直接的なやり取りはありません。

 

物語の大半はリックが俳優業に向きあっている姿が描かれる。合間合間にクリフがマンソン・ファミリーのヒッピー達が集まっている牧場に偶々訪れるシーンや、シャロンが自身の出演している映画を観に行くシーンなどが入っています。

 

情緒不安定で泣き虫で人間味溢れるリックは憎めないし、いつも飄々としていて戦闘能力バツグンのクリフはひたすらカッコイイ。正反対で立場の差もある二人の友情関係がまた面白いです。これをディカプリオとブラピでやっているってのが色々と強い。

 

シャロンは明るくてキュートで純真無垢に人生を謳歌している、光り輝く女性として描かれています。まるでお伽噺のお姫さま、ヒロインって感じですね。マーゴット・ロビーがイヤミなく、魅力的に演じています。

 

 

 

 

 

以下ネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハリウッドのお伽噺

コミカルに話が進みつつも、一方で不穏な空気も漂う今作。事件内容を知っている鑑賞者からしたら、シャロンの溌剌とした姿が描かれるほど、その後の展開を思って暗い気持ちになってしまう訳です。

 

ですがですが、この映画はラストの13分で予想外の展開をしてくれる。

 

ポランスキー邸への襲撃前に車で待機中、リックにどやされた犯人たちは予定を変更。ポランスキー邸への襲撃前に隣家のリックのところにも襲撃して殺害しようとするんですね。犯人たちはクスリでラリっているので、見境なしになっていると。

 

しかし、その時リック邸には戦争の帰還兵で戦い慣れしているクリフと、クリフのお利口で凶暴な飼い犬が。さらには家の中に火炎放射器まであるダメ押しっぷりで、武器を持ってカルト信仰を胸に意気揚々と襲撃してきた犯人たちは手酷い返り討ちにあう。

 

 

かくして、シャロン・テート殺害事件」は起こることなくこの映画は幕を閉じる。実際の事件を背景にしながら、実話と違うラストが用意されているのです。

 

 

タイトルの「ワンス・アポン・ア・タイム」は、「むかしむかし・・・」と、お伽噺の冒頭で使うもので、お伽噺そのものを表す言葉として用いられるそうです。

 

つまりこの物語は、“ハリウッドのお伽噺”なんですね。

ハリウッド史上最も忌むべき事件を、架空の人物を登場させることで回避して、悪党を成敗させちゃう。

 

映画の中で犯人たちを嘲笑い、コテンパンにして恨みを晴らしている訳です。タランティーノ監督なりのハリウッドへの愛を叫んだ夢映画ってところでしょうか。映画の中でなら滅茶苦茶にやっちまっていいんだなぁと、なにやら感心してしまいますね。

 

なので、バイオレンスでド派手でエンターテインメントなラストの13分は予備知識がある人ほど痛快さを味わえます。暴力描写が苦手な人は顔をしかめるでしょうし、実際PG12指定なんですけど、それでもやっぱりスカッとする。もう本能的に。

私はグロいのが苦手なのですが、この映画は平気でしたよ。なので苦手な人もそこまで怖がる必要はないかと。

「す、スゲー」ってなった(^_^;)。最高なラストだなぁと。二人の友情も続きそうで安心した。ハッピーエンドですね。

 

 

事件関係者の他、スティーブ・マックイーン(ダミアン・ルイス)、ブルース・リー(マイク・モー)、など、実在の映画スターたちも登場していて、60~70年代を知る人にとっては美術や音楽などでもノスタルジーに浸れると思います。

ブルース・リーはシャロンに武術を教えていたらしく、その繋がりもあって登場させているのだと思いますが、作中のブルース・リーの滑稽な描き方については批判の声もあったようですね。確かにコメディとはいえ、他の人物同様にもうちょっと敬意を払うべきだったのではと思う。

 

どのキャストもハマっていますけど、子役の女の子(ジュリア・バターズ)が役柄含め凄くカワイイ。8歳の子役にたしなめられたり励まされたり褒められたりしているクリフがこれまた面白いです。

 

 

2時間40分と大分長く、全体的にとりとめのないストーリーなのですが、不思議と何回も観たくなる映画ですので少しでも気になった方は是非。

 

 

 

 

ではではまた~

 

 

 

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『777 トリプルセブン』感想 【殺し屋シリーズ】4作目「マリアビートル」の七尾ふたたび!

こんばんは、紫栞です。

今回は、伊坂幸太郎さんの『777 トリプルセブン』をご紹介。

 

777 トリプルセブン (角川書店単行本)

 

あらすじ

ツキのない殺し屋・「天道虫」こと七尾は、仲介屋の真莉亜が引き受けてきた「ホテルの一室にいる男に娘からのプレゼントを渡す」という仕事を受けて、ウィントンパレスホテルの2010号室を訪れる。

同時刻、同ホテルの1914号室には、驚異的な記憶力を持っているが故に逃走を余儀なくされた紙野結花が身を潜めていた。そんな彼女を狙って、裏仕事の“業者”たちが居場所を突き止め集まってくる。

ホテルはたちまち物騒な奴らで溢れる事態に。「簡単で安全な仕事」だったはずが、ツキのない七尾はホテルから出られなくなり・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

七尾ふたたび

『777 トリプルセブン』は2023年9月に発売された長編小説。伊坂さんの【殺し屋シリーズ】の4作目です。

 

【殺し屋シリーズ】はシリーズといいつつも、本によって登場人物も趣向も作品雰囲気も異なる“予測不能の殺し屋狂騒曲”なので、関連はしていても作品は独立したものとなっているため、続編といえるような続き方をしている訳ではないのですが、

※【殺し屋シリーズ】について、詳しくはこちら↓

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今作の『777 トリプルセブン』は、シリーズ2作目『マリアビートル』

 

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で活躍した通称「天道虫」と呼ばれる殺し屋の七尾が、不運のせいでまたもや騒動に巻き込まれる物語。

七尾の活躍が再び存分に味わえる『マリアビートル』の続編となっています。

 

伊坂さんは巧妙に作品同士が繋がるような構成が特色の作家さんなのですが、同一主人公が活躍する通常の「続編」はあまり書かないのですよね。読者にいつも新鮮に驚いて欲しいという想いで作品作りをしているので必然的にそうなるらしい。続きものだとどうしてもパターン化されてしまいますからね。

 

【殺し屋シリーズ】も新作が発表されるにしても今までのように独立した作品だろうと思っていたので、まさか『マリアビートル』の続編を書いてくれるとは驚き。

 

『マリアビートル』は2022年にハリウッドで『ブレット・トレイン』というタイトルで映画化されたのですが、

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主演のブラッド・ピットに「是非続編を書いて欲しい」と言われて「それじゃあ」と、この度書き下ろしで刊行されたと。

 

個人的に、【殺し屋シリーズ】の中では『マリアビートル』が一番好きで、キャラクターも七尾と真莉亜が特にお気に入りだったものの、続編が出てくれるなんてまったく予想もしていなかったし、期待しちゃダメだとも思っていたので感激です。ありがとう、ブラピ。

 

 

『マリアビートル』は500ページほどの作品でしたが、今作は290ページほどで読みやすいボリューム。京極さんの『鵼の碑』を読んだばかりだったので、めちゃくちゃ薄く感じてしまった(^_^;)。

とにかくスピーディーで、これぞ“ノンストップエンタメ”といった物語。面白くって一気に読んでしまいました。『マリアビートル』に引き続き、七尾のツキのなさが今回も炸裂して殺し屋たちを翻弄しております。

 

 

 

 

 

今度はホテル

『マリアビートル』は同じ新幹線の中にそれぞれに依頼を受けた殺し屋たちが乗り合わせ、錯綜していくという物語でした。

七尾は荷物を受け取ったら次の駅ですぐに降りるつもりだったのが、ツキがないせいで停車駅の度にトラブルが発生して降りられず、水面下で起きている騒動に巻き込まれることとなる。

新幹線という走る密室の中、乗客たちの知らないところ(映画は一般客に気がつかれるのもなんのそのなド派手アクションでしたけどね・・・)で殺し屋たちによる駆け引きと命のやり取りが描かれる物語でした。

 

今作の舞台は東京にある高級ホテル。

『マリアビートル』から数年後の設定で、荷物を部屋に届けるだけの仕事のはずが、殺し屋たちに狙われている女性が同ホテルに居合わせたことによって、あれよあれよと騒動に巻き込まれる。

 

今度はホテルから出られなくなる物語。舞台は違えど、荷物の運搬仕事だけのはずがツキのないせいで“同業者”とヤリあうこととなり、ホテル側や一般客には悟られないまま死体がどんどん増えていく展開は『マリアビートル』を踏襲してのものですね。

 

 

七尾の他に、

驚異的な記憶力故に上司だった裏社会で生きる男・に狙われてしまうこととなった紙野

その乾が差し向けてきた、常に周りを見下している鼻持ちならない美男美女六人組の殺し屋、

シーツを使い、ベットメイキングの要領で仕事をする女性二人組の殺し屋・マクラモウフ

元人気政治家の情報局長官・に取材をする池尾

 

五つの視点、場面で物語は構成されています。

 

伊坂幸太郎作品では毎度のことではありますが、複数の視点と場面がかわるがわる描かれることでテンポ良く、あっという間に読まされてしまう仕上がり。

 

この他に、成金の殺し屋コンビ・高良(コーラ)奏田(ソーダ)、ハッキング能力に長けた中年女性の逃がし屋・ココなど、今回も魅力的でバラエティに富んだ面々が物語を彩っております。

 

このシリーズはとにかく死人がバカバカでるので、キャラクターに好感が持てるほどハラハラしてしまうのですけどね。

上記したように『マリアビートル』の続編が出るのは嬉しかったんですけど、続編ってなると七尾や真莉亜が死んでしまう可能性もあるので、不安も大きかったです。どんなに魅力的で主人公的なキャラクターでも、このシリーズだと容赦なく退場させられてしまうからね・・・・・・。

 

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幸運の天道虫

今まで【殺し屋シリーズ】は虫を意味するタイトルがつけられていましたが、今作のタイトルは「777トリプルセブン」で虫を意味するものではありません。このことからも、通常のシリーズ構成から逸脱した作品なんだとわかりますね。

 

トリプルセブンと言われれば、一般的にはラッキーセブン、“ツイている”のを表すものですが、不運が日常の人生を送っている七尾、生まれ持っての記憶力のために“忘れること”が出来ずに生涯苦しんできた紙野など、生まれながらにツイていない、“恵まれていない”人々を通して、この「777 トリプルセブン」という物語は描かれる。

 

 

「梅は梅になればいい。リンゴはリンゴになればいい。バラと比べてどうする」

 

これは作中で、「他人を羨んだりしないのか」と聞かれてある人物が答えているセリフ。

「幸福」というのは往々にして他者との比較から成り立つ心境ですが、他者を見て羨んだり自身を嘆いたりするのではなく、自分自身を受け入れて実らせれば良いと。

 

 

「マリアビートル」での事件の生き残りってことで、七尾は「幸運の天道虫」として業界で一目置かれる存在となりました。これは不運で苦労している七尾にとっては不本意で皮肉な事態でしょうが、見方を変えれば、七尾はとても運に恵まれている男となる。どんなに大変な目に遭っても、その度になんとか切り抜けられているのですからね。

 

七尾の腕が良いのもそのおかげなのですよ。常に信じられないような最悪の状況を想定しているから、戦闘時に相手よりも上手に行動出来る。ツキのない自身を受け入れているからこそ、生き延びてきたと。

 

そしてまた、前回同様にツキのない七尾の存在によって助けられる人がいる。ツキのない七尾は、周りに幸運をもたらす「天道虫」なのです。

 

 

 

 

 

またお願いしたい

これらの要素の他、伊坂幸太郎作品らしい軽快で洒落た掛け合いと驚きの真相で愉しませてくれます。『マリアビートル』よりボリュームが少ないぶん、シンプルで解りやすく、読みやすい作品になっているかと。

私はやっぱり、七尾と真莉亜の再登場が嬉しかったです。二人とも相変わらずですが、今作ではお互いにちゃんと心配し合っているのが描かれていて良かったですね。情けないことをいいつつ、“ヤるときはヤる”男である七尾の戦闘シーンはやはりカッコイイ。

 

映画化によって思わぬ幸福を得ることが出来ました。伊坂さんは苦手だと仰っていますが、またの続編をお願いしたい。またブラピがリクエストしてくれないだろうか・・・。

 

単体でも楽しめる作品ですので、シリーズファンはもちろん、映画で興味を持った方、今まで伊坂作品を読んだことがないという方にもオススメですので是非。

 

 

ではではまた~